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“就職を考える-買い手市場の戦い方”
『頭脳の消費-不合理な採用システムの弊害-』

岩下 契(北海道大学教育学部)

 

 昨年中は、「大学生の就職難が社会問題となっている」という表現を、何度も耳にした。その度に、強い違和感を覚えた。それは本当に社会問題なのだろうか? そうあるべきこと、あたりまえのこと、ではないのか? 今の学生、特に我々文系の学生は、企業に採用されなくて当然、ほんの一握りでも採用してもらえるだけ有難いと思うべきではないのか? 何しろ、我々は仕事が全く出来ないのだから。
 学生が企業に就職を希望するということは、企業に向かって次のように主張するに等しい。
 「私は仕事が出来ません。そもそも会社員がどんな仕事をしているのかすら知りません。入社後は会社の持出しで私を教育して下さい。でも給料は四月から下さい。六月にはボーナスも下さい。」
 仕事の技量が問われないのをいいことに、企業には様々な大学の様々な学部から、場違いな就職希望者がおしよせる。為替スワップも預金集めのやり方も知らずに銀行を志望する者、プログラミングもブラインドタイプも出来ないのにシステムエンジニアを志望する者、日本語しか喋れないのに商社の海外勤務を夢見る者……。企業はこれらの学生を、最も合理的な基準である「仕事の技量」以外の何かでもって選別しなければならない。そこで、大学名で差別してみたり、年齢制限を設けたり、SPI試験で国語と算数の学力をみたり、10分程度の面接でサークルや卒論の話を聞いたりする、ということになる。これらの選考方法に対し文句をいう学生は多い。曰く、「大学名で差別するな」「SPIの得点と仕事の能力に何か関係があるのか」「あんな面接で私の何がわかるの」。この種の不満は、要するに、表面的な要素ではなく、実力をきちんとみてほしい、ということなのだろう。冗談ではない。実力で判定すれば、今の学生など全員不合格なのだ。一人も採れないのだ。実力(=仕事の技量)以外の判定基準を使わざるを得ないのだから、その基準が程度の差こそあれ不合理・曖昧になるのはやむを得ない。いかに不合理であっても大学名や年齢は、基準としてはいい方ではないか。性別で差別するのは犯罪だし、まさか出身地や血液型で絞るわけにもいくまい。
 要するに、学生が批判する現行の採用システムで得をしているのは他ならぬ学生であり、「仕事の出来ない者は採らない」という合理的な選考基準を企業が採用したら、困るのは学生の方なのだ。企業が学校名による差別等の不合理な採用態度を改められない原因は、仕事の技量を持たない学生の側にあるのに、当の学生は自分達のせいなどとは思いもせずに、企業への批判を繰返している。本当は、ほんの一部だけでも、採用してもらえるだけ有難いと思うべきなのに。

 次に学生の立場から、現行の採用システムを考えてみる。

 大学三年の十二月から三月にかけて、様々な企業から大量の入社案内が送られてくる。知っている会社・知らない会社、大企業・中小企業といろいろあるが、自分がそこに入ったらどういった仕事をすることになるのかがわからないという点では、皆一緒だ。理由は二つある。一つは自分にサラリーマンの仕事に関する知識が全く無いから、もう一つはどの会社も全職種の一括採用を行なっており、入社してみないとどこに配属されるのかわからないからだ。
 「仕事の内容」は会社を選ぶ際の最も重要な要素だが、それがわからないとなると、選択の基準はいきおい「業界上位の企業」「入るのが難しい会社」「休みが多くて給料が高い所」「何となく面白そうな仕事をしている会社」等々曖昧な、もしくは本筋から離れたものにならざるを得ない。
 就職雑誌等で、企業の人事担当者が「うちに入って何をやりたいのかはっきりしない学生が多い」と文句を言っているのを目にすることがあるが、はっきりさせられないのはあなた達のせいではないか、と思う。配属を事前には不明にしておいて、しかも入社後は二~五年ごとに職場をローテーションさせるのは人事担当者ではないか。
 同じく人事部が、様々な業界の上位企業ばかりを受験する学生について「ブランド志向だ」「本当にやりたいことはあるのか」と批判するのも、よく聞く。
 業界上位ならどこでも受ける学生を批判する前に、そういう学生がどこでも受けられるような選抜方法を用いている自分達について考える所はないのか。
 あらゆる業種が、同じような問題しか出ないSPI試験と、同じような質問しかしない面接を学生に課している。どの業種でも課題が同じなら、業界上位の企業を渡り歩く学生が出てくるのも当然ではないか。
 それぞれの業種が、そこでの業務について本気で勉強した者以外はクリアできないような選抜方法を採用すれば、学生はそれぞれの志すただ一つの業種向けの勉強を積むようになるだろう。必要なのは、「この程度のことが出来ない者は採らない」という明確な基準なのだ。これを出さずに、あらゆる業種に共通の、不合理で曖昧な選考方法を用いる限り、本当にやりたいことがあるのかと疑われる様な、ブランド志向の学生は絶滅しないだろう。

 企業・学生の両面から考えることで、現行の採用システムがかかえる問題の性質がわかってきた。問題はいろいろあるが、企業と学生のどちらかが、一方向に悪い、というわけではない。悪いのは両者の関係のようだ。
 「仕事の技量を問わない企業」と、「仕事が全く出来ない学生」とはニワトリとタマゴ的な循環をつくりどちらも不満をかかえながらも、主体的に変化を起こすことが出来ずにいる。
 この構造は何かに似ている。大学入試である。

 大学関係者には、現行の新卒者の採用システムに批判的な人が多いようだ。「四年間遊んでいただけの者でも企業が採用してしまうから、日本の学生は勉強しなくなるのだ」というのが彼らの言い分である。この種の意見の中から、東大教育学部の天野郁夫氏の発言を紹介する。
 「……日本企業が大学教育の中身に興味を持っていないのは明らかです。日本では、企業は東大など難関大学に合格したという情報処理力、忍耐力などの潜在能力だけを評価して採用するわけだから、学生がまじめに勉強するはずがない。私は財界の方に言いたい。いつまでこんなことをするのですか、と。この構造がある限り、企業が大学と学生の批判をしても、変わらない。」
 この意見は色々な意味でおかしいが、中でもどうしても指摘しておかなければならない点は、日本の学生が勉強しないのは、もともと勉強する気のない者をわざわざ選んで入学させる日本の大学のせいだといことだ。天野氏の発言の、傍線の部分を見ていただきたい。直接必要な能力を測定せずに、情報処理力などの潜在能力だけを評価して合否を決めるものは、就職試験だけではない。天野氏御自身も関わっておられるであろう大学入試も、正にこの性質を持つ。財界人は傍線部にのしを付けて天野氏にお返しすべきだ。

 大学入試は不思議な制度で、「入学後に必要となる能力」を測定する意志がほとんど感じられない。入試問題を見ていると、「高校でよく勉強した人から順に、大学に入るべきだ」と主張しているように思えてくる。実際にそう思っている人も少なくないが、不合理な話だ。
 例えば北海道大学の経済学部に入るためには、経済の知識は全く必要ない。代わりに一次試験では理科が課され、国語では古文・漢文が出題される。数学では経済分析に必要な統計学は一切出ない。この入試をくぐり抜けて合格を果した学生は、当然三面等価もマーシャルのKもフィリップス曲線もモダンポートフォリオ理論も知らない。そんなものを勉強していたら受かるものも受からなくなってしまうのだから。この学生たちを前にして、教官は「今の学生はこんなことも知らないのか」と嘆く。自分達が作成した入試問題で選抜した学生だということを忘れている。経済学の知識のある学生が欲しいのなら、入試で経済学を出題すればいい。
 学生は学生で、研究テーマも持っていないくせに、講義がつまらないなどと思っている。誰に強制されたのでもない、自分が選んだ学部だということを忘れている。こんなことになるのも、就職試験が「仕事の技量を問わない」のと同じく、経済学部の入試が、「経済学の技量を問わない」という前提のもとに構成されているからだ。「経済学を知らない受験生」と、「入試で経済学を出題しない経済学部」とはニワトリとタマゴの循環をつくり、変化の起こしようがなくなっている。この種の不合理な選抜システムの下でおこる最大の問題は、それぞれの人が収まるべき所に収まらないという、「頭脳の消費」の問題である。
 地理学を専攻する友人は、学部で一番勉強する男だと言われている。成績も優秀だ。だが彼は、二浪して半ば精神を病みながら、ようやく合格したという過去をもつ。入学後は一切勉強する気のない者を大量に受入れる一方で、入学後は学部一勉強することになる受験生を二年続けて落とした入学試験とは何なのだろう。不合理な選抜システムは人がそれぞれ収まるべき所に収まることを阻み、発揮されるべき才能を眠らせたままにする。貴重な頭脳の消費である。新卒者の採用システムも大学入試と同じ構造を持つ以上、そこでは膨大な頭脳の消費が繰返されていると思われる。
 会社員と総称される諸々の職業は、スポーツや音楽のプロフェッショナルとは違って、入り口の所で能力のない者を排除するシステムを持っていないので、本来入るべきではない人間を大量に受入れてしまう。間違って入ってしまった人は、組織との間にミスマッチをおこして苦しむ。収まるべき所に収まって、生き生きと働いている人は、本当に少ない。頭脳の消費は、止む気配がない。

参考資料・文献

  • インタビュー「企業が変われば、大学も変わる」(週刊東洋経済 '94年7月2日号)

  • 岩田規久男「教育費の増加と終身雇用制」(週刊ダイヤモンド '94年10月22日号)

  • 榊原清則「雇用調整は大学生の就職浪人で」(実業の日本 '94年4月号)

  • 内橋克人・奥村宏・佐高信編「日会社原論4 就職・就社の構造」(岩波書店 '94年)

  • ジョン・ウォロノフ「幻の繁栄・ニッポン」(講談社 '83年)

(編集者・注) 原文では、「情報処理力、忍耐力などの潜在能力だけを評価して採用する」の部分に傍線あり。


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