“遺伝子と医療”
-遺伝子治療は夢の治療法に成り得るか-
山田佐知子(東京慈恵会医科大学医学部)
1994年1月25日、新潟大学医学部の倫理委員会が、国内で初めて「遺伝子治療」の臨床応用にゴーサインを出した。このニュースは、各々の新聞やテレビなど、マスコミを通じて大きく報道されたこともあり反響もすくなくなかった様である。その日の夜、私がテレビを見ていると、ニュースキャスターは、事実関係を報道した後で、「これが、日本で初めての遺伝子治療となるわけですが、果たして夢の治療となるのでしょうか、それとも悪夢の実験となるのでしょうか。」としめくくっていた。夢の治療法。悪夢の実験。一体遺伝子治療とはどの様なものなのだろうか。
我々を悩ます疾患の中で、その疾患にかかわる率が、特別に高い家族がいる。これはいわゆる家族性疾患というもので、遺伝に依ると考えられている。そしてその遺伝子をつかさどるのは、細胞核にあるDNAだ。人体は30億塩基対のDNAがあり、23対の染色体上に線形に配置されている。そして、その1本の染色体は5万から10万の遺伝子からできていることが知られている。しかし、どこにどのような事を決定する遺伝子があるのかについては、まだほとんど解明されてはいない。
今回、新潟大学が国内初の遺伝子治療として行うのは、白血病の再発の原因を探るというものである。白血病の治療には、患者から骨髄を採って悪性細胞を取り除いて体内に戻す「自家骨髄移植」という方法があるが、急性白血病の場合、自家骨髄を移植した患者の約5割が手術後に再発する。その原因が(1)体に戻した細胞(2)患者の体内に残っていた細胞のどちらかであるか解明されていないため、遺伝子にマーカーをつけて導入し追跡してみようというものである。
これが成功すれば、これからの急性白血病の治療法に新たな発想が生まれるかもしれないし、少なくとも方向性を見出すことはできる様になり今後の研究に拍車がかかることだろう。
実際、世界では3年も前に遺伝子治療が実施されている。治療を受けたのは二人の少女で、ある酸素欠損のせいで免疫不全を起こしていた。そこで欠損している酸素を作り出す遺伝子を患者の細胞に組み込む手術が行われたわけだ。この治療は二人とも成功し、現在彼女達の免疫系は正常に機能している。またペンシルバニア大学では家族性高コレステロール血症の患者に遺伝子治療を行った。DNAウィルス(DNAを遺伝子にもつウィルス)にコレステロール値を制御する遺伝子をくみこみ、これをベクター(運び屋)にして患者の肝細胞に送りこんだというもので、それから18カ月経過した今、患者のコレステロール値は、ほぼ正常値に近づいているそうだ。
夢のような遺伝子治療だが、単純に喜んでばかりもいられない種々の問題点もある。まず以前にほとんど例がないだけに、安全性、技術、確実性などがはっきりせず、頭から信頼することはできない。そして倫理の面でも議論の余地がまだまだある。
遺伝子治療における倫理上の問題点はどの様なことなのだろうか。そのうちの、いくつかの問題を理解する為に、いま世界中で最も注目されている遺伝子のうちの一つ、乳癌の遺伝子、BRCA1についてとり上げてみたい。
乳癌は、欧米で発症率の高い癌として注目されていたが、ここ20年間で、わが国にも患者数が急増し、今では、胃癌に次いで2番目に女性に多い癌である。もちろん乳癌の発癌には色々な要因があるが、このうちの1割は乳癌家系といわれる人たちにみられ、家族、遺伝要因をもつ。そして最近この遺伝性の乳癌の患者の半数には、BRCA1と名づけられた乳癌抑制遺伝子の欠損が関与しているらしい。ということが分かってきた。BRCA1は17番染色体のどかに乗っている遺伝子で、メンデルの遺伝法則に従って子孫に伝えられてると考えられている。まだBRCA1遺伝子自体の特定はされていないが、それでも何人もの家族の染色体を分析してその家系の遺伝子マーカーを発見すれば、発癌リスクを測ることはできる。そしてBRCA1の欠損を示すマーカーをもつ女性の場合、乳癌の発症率は50歳で59%(平均は2%)65歳で80(平均は%5%)に達する。もっともこの分析方法では、2世代以上にわたって5人以上の発癌例がないと難しいらしく、今はまだ研究として行われているにすぎない。けれど、BRCA1遺伝子が特定されれば、簡単な血液検査で発癌リスクを調べられるようになると考えられている。そして、そのBRCA1の特定をするための研究競争は世界中で白熱しており、学界は年内にも、と期待されているほど近い将来のことなのである。
しかし、現在では、発病を予測することが必ずしも我々にバラ色の未来を約束してくれるわけではない。第1に遺伝的に発癌要因があったとしても、それに種々の環境要因がかさならなければ発癌するという事はない。結局のところ確実な予測ができるわけでもないのだ。つまり実際にそれが行われれば、人々は不確かな予測で躍らされることにもなる。そして第2の問題点は、BRCA1の特定が、直ちに治療法の向上に結びつくわけではないということである。まだこの研究は始まったばかりで、今のところ遺伝的なリスクを負った女性が選べる良い選択肢はないのだ。
ある26歳の女性の場合、彼女の母親に初期の乳癌が発見され、彼女自身にも発癌のリスクが50%あると医師から告げられた。当時、彼女は全くの健康体だったが、悩んだ末乳房を両方とも切除する手術を受けた。彼女には50%の確率など耐えられなかったのだ。
BRCA1に欠損があるとわかった人に残された道は必して幸福とはいえない。そしてBRCA1欠損は当人だけではなく彼女の家族にも冷たい風を吹きつける。乳癌の予防のために乳房を切除すると決まったとき、家族の負担は医療費の面でも、心理的な面でも無視することはできないものになるだろう。まして発癌した日には、幸せな家庭すべてが崩壊することもあり得る。それだけではない、最も問題になるのは、BRCA1の欠損を持った母親の遺伝子は子供にも50%の確率で遺伝するという事実である。これらの事実に、遺伝上のリスクを告げられた本人はどう対応していったらよいのだろうか。そして我々は。結婚をひかえた人に欠損が発覚したら。倫理学者が以前から警告していた「遺伝子の解明によって生じる差別」が目の前をちらつく。
それらとは少し異質ではあるが、遺伝子の研究というもの自体に対して「ヒトの根元である遺伝子を我々がいじっても良いのか。」という疑問を投げかける人もいる。モラルを決めるのは、社会を構成する人々の総意に他ならない。しかし、ルールも知らずにサッカーの試合を見てもチームの良し悪しを語れない様に、モラルを論じるときその対象について何も知らずに語ることはできない。人間としての良識と、その事柄についての充分で正確な知識が不可欠であり、それは人間社会の発達、科学の発展に伴って変化していくべきものである。結局、私は遺伝子を取り扱うこと自体に対しての危惧の根底に横たわるものは、急激に進歩した遺伝学に取り残された我々の無知なのではないだろうか。と考えている。
この危惧を分析してみると2種の恐怖にいきつく。一つ目は、遺伝子によって人間が解明され尽くすことへの恐怖。遺伝子によって未来に自分のかかる疾病から自分の性格や知性まで決まってしまう。遺伝子を治せるようになったら、そのヒトがそのヒトではなくなってしまうかもしれない。という不安がある。そして二つ目は、理由もなく遺伝子と聞くだけで感じる何か触れてはいけないようなゾッとする感覚。後者の感覚は小さい頃、闇夜だとか納屋の中だとかが怖かったのと同種のものと考えられる。つまり、自分のよく分からない、知らない範囲にあるものは恐ろしいと感じてしまう心理である。どんな恐ろしいおばけ屋敷も、カラクリを知ってしまえば怖くはなくなる。遺伝学者たちは遺伝子は発症の必要条件であるにすぎないので、遺伝子検査で健康上のリスクを完全に予知するのは、まず不可能だと結論を下しているし、知性や性格が遺伝子によってすべて決まるということはあり得ないと明言しているのだ。知識を得ることで恐怖もなくなり、初めて我々は遺伝子と医療に向かい合える。しかし実際は、一般の人々の遺伝子への興味も知識も非常に乏しく偏見に満ちあふれている現状なのである。
この様に、遺伝子研究によって生じる問題は少ないとは言えない。知らない方が幸福かもしれない疾病のリスク、それに伴って生じる差別。そして遺伝子と医療に対する一般の人の知識の少なさと偏見。
現在、乳癌に関しては予防法としての良い選択肢がないし、新潟大学で行われる「遺伝子マーカー実験」にしても治療に直結するわけではない。しかしBRCA1遺伝子を特定することによって、欠損を簡単に検査できる様になれば、乳癌の早期発見には役立つ。それだけではない、欠損あるBRCA1の修復や置き換えとなると現実はまだ先だとしても、この遺伝子が腫瘍の発生を抑制するタンパク質を作り出していることが証明されれば、そのタンパク質を研究することで、癌の治療薬に利用できるかもしれない。白血病にしたって、白血病再発の原因細胞が分かって初めて次に何をしたら良いのかの指針がたつのだろう。
最先端の医療は若葉マークの車に似ている。車の運転を学ぶとき、我々は車に乗れることで広がる様々な楽しみや生活を夢みながら教習所に通い始める。そして第1段階から第4段階まで練習をつんで試験を受けることになる。ペーパーで理論を学び、実技試験で実際の練習の成果や安全性を確認する。そして若葉マークをつけて走り出すわけだが、若葉車はやはり、危なっかしく事故も多い。それでも全員がその道を通って、だんだんに上達して安全に、快適に運転できる様になる。遺伝子治療の研究も、遺伝疾患の治療への希望そしてこれから開けるであろう未知の医療への可能性を夢みて始まったことだ。それも、理論を考えて、実験をして、試験をして、今やるばかりなのだ。だからこそ今すぐ役に立つとは言い難いし、安全性、確実性の面でも不安が残る。しかし、若葉マークの時期をさけては車に乗れる様にはならない。もちろん、だからといって、運転の危ない車を上手くなるまで放っておけと言っているのではない。我々は、若葉マークをつけた新たな研究が暴走しない様に常に気をつけて見ているべきだと思うのである。
しかしながら、そうするには我々は研究に対してあまりにも無知無関心すぎる。実際、DNAの二十螺旋をワトソンとクリックが解明してからまだ半世紀も経っていないのに、この間に進んだ遺伝子の進歩はあまりに大きく、義務教育で学んだ遺伝学では、とうていついてはいけない。遺伝学、そして医療は、日進月歩するのだ。
しかし医療が、我々の生活と切っても切り離せないものである以上、我々はお互いに歩みよらなくてはならない。つまり医療側は、新しい研究や技術について、患者にも一般にも充分な説明を行い、同意や意見を求める姿勢を持つべきであるし、マスコミももっとそれを正確に詳しく伝えるべきである。また医療を受ける我々の側も積極的に医療の現状を把握し、理解しようとする姿勢をもち、更に臨床応用については常に充分な実験をつみ根拠や妥当性、安全性をもっているかを確認することで医療の暴走を防ぐ努力をするべきなのである。
新潟大学の遺伝子治療の臨床応用にしても、本当に安全性が充分なのかを確認し、臨床実験を行う妥当性があるかどうかと決めるべきなのは我々の意見を充分に反映した厚生省であり、我々の代表になった被験者のはずだ。乳癌など、疾病のリスクの検査についても、検査を普及させるどうか、あと最低20年間は発病の心配はない子供達をも検査するべきかどうかを決めるのは、正確な知識をもった上での我々の総意であるべきだし、検査が普及した時に差別をつくるもつくらないも、それこそ私達の努力次第なのである。
つまり遺伝子治療が夢の治療法になるか、悪夢の実験で終るのかは、遺伝子学者だけの問題でも医者だけの問題でもない。我々社会全体の努力なくしては解くことのできない、今後の大きな問題なのである。
そして我々の相互の努力によって初めて、遺伝子治療、延いては医療というものが、科学の発展と人間の幸福と健康を結びつける最良の道となるのである。
参考文献
●朝日新聞 1月26日付朝刊
●Newsweek 1993年12月8日号