“就職を考える~日本型雇用~”
-女性の社会進出をどう捉えるか-
田中沙羅(慶應義塾大学文学部)
1、はじめに
女子の高学歴指向、結婚観や家族観の変化、そしてこれまで女性であることを理由に閉ざされていたさまざまな分野での活躍。以前と比べ、女性に課せられていた拘束は随分緩くなった。同時に昔からの伝統的スタイル(女は男に従って生きるもの・男は外で働き、女は家庭を守るもの等)も廃れた訳ではない。つまり女性の生き方が多様化したということなのだ。男性と同等に社会に出て働きたい人、家庭に入って子育てに専念したい人、その他全ての人が自分の生き方を自分でデザインしそれを実践することが許される時代に移行しつつある、これが現実だと思う。これは女性のみの問題では決してない。性別によって生き方が拘束されないことは男性にとっても女性にとっても歓迎されるべき事柄であるからだ。この小論では女性と職業の問題に焦点をあてその現状、背景を考察することにより女性という視点にとらわれず、人間として生きていく上で我々がめざすべき在り方を考えてみたいと思う。
2、女子社会進出進展の背景
女性の社会進出が進展した背景には女性のライフサイクルの変化が関係している。平均寿命が延び、出生児数の減少により育児期間も短縮したため、末子就学以後の期間が大幅に長期化した。人生80年のうち出産、育児の期間はほんの一時期にすぎず、子育て以外の場に自己のライフワークを求めるゆとりができたのである。電化製品の普及やさまざまなサービスを利用することにより家事労働の負担が軽減し、自分と社会との関わりに関心を払う余裕が生まれたことも挙げられる。高学歴化やマスメディアを通じての情報量の増大による女性の自立意識や自己実現欲求の高まりも大いに影響しているだろう。彼女らは自己実現の場を求めて社会に目を向けだした訳だが、一方で住宅費や教育費を支払うなど生計維持のために働く人も存在する。しかしかつてに比べれば前者の占める割合が徐々に高まってきていることは事実である。
3、雇用側と雇用される側の意識の違い
このような女性側の意識の変化に対する企業側対応はどうなってるのだろうか。女子就業パターンとして(1)長期継続雇用(2)パートタイム雇用(3)派遣労働(4)在宅勤務の4種類に大別できるがこの中でもとりわけ(1)長期継続雇用の希望が年々高まってきており、実際平均勤続年数は年々長期化している。(労働省によると、平成3年の女子雇用者の平均勤続年数は7.4年。10年前と比べると1.2年の伸びである。ちなみに男子は12.7年となっている。)これに対し企業側も育児休業制度の導入、女子に対する若年定年制や結婚退職制等の慣行廃止への努力等、勤続就業を可能にするための環境整備を整えつつあるが、現実には子育て後に正社員として就業を再会するのはかなり厳しいのが一般的である。また昇進についても男女間でのパターンの違いが見られる。勤続年数や学歴の同じ男女において、男子は年齢と昇進が比例関係になっているが、女子においては長期勤続してもせいぜい係長どまりという具合に男子よりも遅い時期から処遇される傾向がある。(労働省の平成3年の調査によると、役職者総数に占める女子の割合は、部長1.2%、課長2.3%、係長6.2%である。)男子は年功的な内部昇進制のもとで一括管理されているのに対し、女子はこれ枠外に置かれ、チャンスと能力に恵まれた僅かの者しか抜擢されないのである。また労働省の調査によると、女子に昇進機会を与えるという企業は56.3%、残りの43.7%は与えないと答えている。昇進機会があっても部長以上に門戸を開いている企業は2割にすぎない。このように入口で女子が締め出されてしまう雇用管理のもとでは、女子の勤続年数が伸び企業の中で自分の能力を十分発揮しようとしても限界が生じる。同じ調査で女子に昇進の機会がない理由を見ると、「女子の補助的業務の正確から無理」(66.9%)「女子は勤続年数が短い」(44.7%)などとなっている。採用時点でどの女子が長期勤続するかわからない状況で女子=短期継続と固定的に捉える方が企業側には合理的なのかもしれない。しかし、電機労連の婦人組合員に対するアンケート調査によれば、再就職型(子供の成長後再就職したほうがよい)に比べて勤続型(定年まで職業をもった方がよい)で被差別観が大きい。また雇用職業総合研究所の調査では「段々管理的な仕事、役職についていきたい」と考える者は、勤続年数が長くなるほど高くなる傾向が見られる。このように、企業の考える雇用者像と女子雇用者の意識の間にはかなりのギャップがあるようだ。
4、結婚満足度と働く女性の関係
まだまだ企業側の対応の遅れは見られるものの、勤続年数は長期化し、昇進も望む女性が増加するなど男女雇用機会均等法のもとで男性と同等に働くことのできる環境が整いつつある。いまや「働く女性」は決して珍しい現象ではなく、一つの女性の取り得るべき選択肢として社会にも広く受け入れられている。古典的な男女役割分業が根強く続いていた日本においてこれは新しい傾向である。ここに面白いデータがある。結婚満足度の測定要因を探ることを目的に妻の就業形態別に行われたものだがその結果によると、「既婚女性の就業は、妻自身の生きがいや能力発揮にはプラスに作用するが、夫や子供には皺寄せがいくという通説とは異なり、調査の結果は既婚女性の就業に反対し、固定的な性別役割分業支持の夫に結婚満足度が低く、逆に既婚女性が働くことを支持し、固定観念にとらわれず多様なライフスタイルを追求する者に結婚満足度が高いことを示している。」ということである。ここで強調したいことは、だから女性は職業を持つべきだ、などと女性の生き方を一つに限定することでは毛頭ない。そうではなく、多様なライフスタイルを受け入れる態度が結婚満足度にも、またさらにはさまざまな人間関係を形成する上でもプラスに作用するであろうということである。
5、職業に対するコンセプトの変化と女性
職業と一言で言ってもその種類、目的、勤務状態等、今日非常に多様化の様相を示している。特に女性の社会進出に伴い、彼女らの多様なニーズに合わせて多くのバリエーションが生まれた。長期勤務が当然であった男性社会の中に、パートタイム雇用、派遣労働、在宅勤務等をもたらし、また就業の目的も収入のため、社会参加のため、人とのふれあいのためなど、人により、場合によりさまざまである。職業をもつのは生きていくのに当然とみなし、何故自分は働くのかなどと改めて考えることさえない男性とはかなり事情が異なる。これまでにない新しい分野、例えば家事の外部化、育児ヘルパー、電話での悩み相談等、女性の視点から誕生したものも少なくない。このように女性の社会進出は確実に従来の職業観を変える転機を与える役目を果たした。従って男性の作り上げた就業スタイルをあくまで固持し、女性をその枠組みにはめこもうとすればはみ出してしまう部分が生じて結局適応できずに挫折してしまうだろう。実際多くの女性が男性社会に飛び込み、男性に負けじと頑張った挙げ句、働きすぎサラリーマンの二の舞を演じている。これでは意味がないのだ。女性の男性化ではない筈だ、女性にとって、また男性にとっても望ましい就業スタイルは。女性の社会進出を女性のみならず男性にとっても意味のあるものにするという視点こそ必要なのではないか。
6、キャッチアップを超えて
男性社会における悪弊は数多く指摘されている。長時間に及ぶ残業、その結果おこる家族の分裂や家庭崩壊、上下社会、肩書崇拝、仕事だけが生きがいのため生じる休日恐怖症、過度のストレス、働きすぎた挙げ句の過労死…。「在日日本人」という著書の中で宮本政於氏は一人ひとりの個性を無視し、集団主義を押し通そうとする日本の組織を痛烈に批判しているが、まさにここに問題があるのだ。個人を大切にしない風習、これこそ女性の社会進出に伴って我々が考え直すべきことなのだ。人間を犠牲にしてまで何故組織に尽くさなければならないのか。何故個人の精神的、身体的健康を犠牲にしてまで、集団規範に従わなければならないのか。今日日本社会はあまりにも「個人」の生きる権利が大事にされていない。「個人の自由」が保証されていない。特に職場において見られるさまざまな慣行の中には時代遅れも甚だしいと思われる無意味な伝統がしみついてまっている。若い世代の意識変化に期待をかけたいがどうも組織の伝統を崩すだけの力にはまだなっていないようだ。次のターゲットとして私は女性に期待したい。働く女性の数は近年増加の一途を辿っている。彼女らは男性社会に「適応」するのではなく、「変革」のきっかけをつくる力を十分もち合わせていると私は見ている。働く女性の目指すことは男性社会にキャッチアップすることではなく、男性社会のもつ悪癖に対し警告を発すること、そして人間重視の就業観を吹き込むことである。個人のニーズに合わせた多様な職業形態を許す社会、これこそ男性女性に拘わらず、人間として求めて当然のものではなかろうか。
7、おわりに
結局この小論の中で私が述べてきたことは、全ての人が自分の考える最良の人生を自分自身でデザインし、実践できる社会を我々は目指すべきではないのか、またそういった視点で女性の社会進出を捉えるとどうなるだろうか、という自分なりの問題意識が端緒となっている。自分自身が「働く女性」を目指しているため、職業をもつ女性の社会における役割等を強調しすぎてしまい、女は働くべし、との印象が強くなってしまったかもしれないが、決してそうは思っていない。この世界上には約50億人もの人間が存在するが、それだけの数の「個人」が存在することを意味する。人は一人ひとり別個の人間である以上、考え方が異なって当然である。異なる価値観に基づく異なるライフスタイルを営む権利を我々は有している。これこそ「自由」の本質であり、理想的姿ではなかろうか。逆に私が恐れているのは女性の社会進出をあたかも時代の趨勢かのように捉え、それ以外の生き方を選択する人の重荷になってしまったり、本人の意識の中でどこか後ろめたさを感じてしまったりすることである。いかなる生き方をも許容する社会をこそ求めるべきであり、そのためには何よりも我々自身が自分と異なる価値観にも寛大になれるよう努力する必要があろう。意識面と平行して制度面においても、それが足枷となって自分の思い通りの生き方ができないという事態が生じることがあってはならない。以上の事柄を満たす社会であれば人は自ずと生き生きしてくる。社会も活性化されるに違いない。