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“遺伝子と医療”
遺伝子からゲノムへ-現代社会に求められる疾病観-

空閑 厚樹(早稲田大学人間科学部)

 

序、遺伝子時代に求められる疾病観とは
 遺伝子。この生命現象を解く鍵が、私たちの生命観、人生観に与えた影響は計り知れない。「遺伝子だからしかたがない。」これは日常生活でもよく耳にするセリフだ。近年の遺伝子研究はこの概念としての遺伝子を具体的な物質としての遺伝子に変えた。
 遺伝子には運命が記されている。だから、私たちはそれを甘受するしかないのだ、と思わせる強いインパクトを、この言葉に与えた。
 この遺伝子が医療の場に応用される時に生じる最大の問題とは何か。それは、この遺伝子を利用した診断によって病気が発見された時、それが決定的なスティグマとなるという点だ。その塩期配列の事実から、患者は逃れることができない。遺伝子をめぐる医療の状況とは、遺伝子治療への期待を陽とすれば、病をめぐる遺伝情報が社会的に決定的な負の意味を持つという陰の部分も併せ持っていることを忘れてはならない。
 しかし、基礎生命科学の進展により医療の場にこの「遺伝子」は導入されつつある。1980年代中頃までは遺伝子治療の臨床での応用はまだまだ先の話と専門家の間でも言われていた。しかし、1990年の秋、米国でアデノシンデアミナーゼ欠損症という免疫不全症の治療に成功して以来、欧米を中心に遺伝子治療の臨床への応用が進んでいる。科学技術の進展の早さは専門家の常識をも覆るほどなのである。
 このことによって生じる混乱に対処するにはどうしたらよいのだろうか。
 第1に、私は遺伝子の語りかけに冷静に耳を傾けることだと考える。その豊かな語りかけの真意を探るには遺伝子の持つ情報を遺伝子のレベルでとらえているだけでは不十分だ。遺伝子の集合体、生命のありのままの姿であるゲノムの視点が必要ではないだろうか。
 第2に、現代社会の疾病構造の転換に私は注目したい。
 具体的には社会の高齢化が疾病構造の転換を促している。すなわち老いていく過程のなかで多くの人がなんらかの慢性疾病と付き合う割合が高くなっているのだ。ここでは病気や障害に対する態度をどう持つかが問題となる。病気を克服する、征服するという姿勢からこれを飼い馴らすという姿勢である。
 ここで、健康への強迫観念を持ち続けるなら、この慢性疾患を通して現代医療に管理されることになりかねない。逆に病気を貴重な体験としてとらえ、これと主体的に付き合うという姿勢を持つ時、現代医療も主体的に利用していくことが可能となるのではないだろうか。これは疾病観の転換を意味する。
 ゲノムと疾病観の転換。これが本論のキーワードである。この切り口から遺伝子時代に求められている疾病観を探っていきたい。

1、遺伝子とは何か
 序において、ゲノムの視点から遺伝子の情報を読む、と書いたがその意味を明らかにするためにまず、遺伝子の性質について整理しておきたい。
 遺伝子には三つの姿がある。第1に生命誕生以来連綿と伝えられてきているという通時的な姿。ヒトがヒトを生み、犬は犬を産む。親の遺伝子情報をほとんど正確に子孫へと伝えられる。この忠実な複製を作るという性質は、遺伝子の、そして遺伝子を持つ私たち生き物すべての共有する性質である。
 次に生命活動の過程で刻々と機能しているという遺伝子の共時的な姿。例えば食べ物を一度分解し、自分の細胞の蛋白質へと再構成しているのは遺伝子の機能による。遺伝子の正確な機能によって私たちは個のアイデンティティを維持している。
 そして最後に環境の影響を受け、変化をし続けているダイナミックな遺伝子の姿である。地球上に生命が誕生したとされる35億年ほど前から現在に至るまで、大気の温度やガス組成、水中の塩類濃度も変化してきた。この過程で生命が跡絶えることなく続いてきたのは遺伝子の変化する、という特性に依る。世代ごとに遺伝子を伝えていく過程で、基本的には正確に複製されていくのだが、複製の際の小さな間違いの堆積が遺伝子を変化させてきた。この遺伝子の変化するという特徴は生命の継続を保証しているのである。

2、ゲノムとは何か
 ゲノムとはこの遺伝子の総体のことである。例えばヒトの場合、DNAの総塩基対数は30億、生きていくのに必要な遺伝子の数は、数万から20万くらいであろうと見積もられている。それが22の常染色体とX、Yの性染色体、合計46の染色体に一つづつ担われているのだ。つまり各染色体には一分子づつ異なったDNA分子がありその全体がゲノムとなっている。
 ではこのゲノムは、どのような視点を私たちに提供してくれるのだろうか。このことを明らかにするために物質としての遺伝子の視点が人間理解にどのような影響を与えたか見ておきてたい。
 DNAがあらゆる生物の遺伝情報を担っているという、分子生物学の根本原理が確立するのは1960年代中頃のことである。この生命観は、強い衝撃を哲学界に与えた。そして強い危機感を抱かせた。それはこの原理を内包する「DNAを解読すれば、その個人についてのあらゆることが判る」という極端な還元主義に対してである。しかし1970年代に移り、DNA研究が進むにつれこの危機感は希薄化していった。なぜならP・バーグによる遺伝子組み替え技術の開発とこの技術の普及の過程で、DNAを少々出し入れしたく位では生命は変わらないことがはっきりしてきたからである。そして1980年代に入り、米エネルギー省のC・デリシがヒトのDNAの解読を提案したのに対し、哲学的批判はほとんど上がらなかった。この時問題となったのは、その研究費とそれに見合う研究効率が見込めるのか、という経済的問題だった。
 ここに至って、全DNA=人格性という構図は脳に代表される高次神経系=人格性という構図に移ってきたのである。

3、ゲノムから見えてくるもの
 話を整理しよう。物質としての遺伝子の概念が登場した時、これが人間理解に与えた影響は甚大だった。極端な還元主義の後ろ盾に成りうると思われたからだ。しかし、遺伝子そのものだけでは人間、そして生命はとうてい説明しきれないことが明らかになってくる。そしてここで個々の遺伝子に注目するのでなく、遺伝子の全体像、つまりゲノムへと関心が移ってきた。
 遺伝子の視点とは構造と機能である。DNAという構造体がどのように発現し、蛋白質を合成する機能を果たしているのか。これを個々の遺伝子について調べていく。
 一方、ゲノムとはその生命体が生存するのに必要な遺伝子の総体、つまり生命のありのままの姿である。そしてここから見えてくるのは生命の関係性と時間である。つまり、ゲノムを解明することによって、例えばヒトとチンパンジーの関係がそのゲノムの差異から明らかにしていくことができる。そして、進化の最終段階とも言えるヒトのゲノムを読むことで生命の進化を遺伝子のレベルで論じることが可能となるのだ。この視点を中村桂子氏は「生命誌」と呼んでいる。

4、遺伝子からゲノムへ-疾病観の転換-
 遺伝子のレベルで遺伝子疾患をとらえるととどうなるか。遺伝病とは、必要な蛋白質をつくれないことだ。これは遺伝子の突然異変が原因となっている。生命活動に深く関与している遺伝子にこの突然変異が登場し、その機能を果たせなくなったらその個体は重篤な機能障害を持つことになる。ここから見えてくる遺伝子疾患とは遺伝子の機能障害という側面である。
 ではゲノムは遺伝子疾患に対し、どのような見方を示してくれるのだろうか。
 先にゲノムは命の関係性と時間の世界を見せてくれると書いた。この視点を持つ時遺伝子疾患は全く別の姿を見せるのである。
 例えば、遺伝学の開拓者の一人であるバーナデット・モデル氏は次のように言っている。「遺伝子が複製を作って二倍化するとき、その途中で誤りが生ずることがあります。これはDNAにとって本質的な性質の一つです。それが本質的だという理由は、この過程があってこそ変異が得られるからです。そして変異が得られてはじめて環境の変化にも適応が可能となるのです。」
 この突然異変と呼ばれる遺伝子の「誤り」は遺伝病の原因となっていると同時に生命の進化の素材ともなっているのである。このように考えるとヒトという種も遺伝物質の複製の度に生じた偶然の誤りが35億年分積み重なった結果のひとつであると言えよう。
 そして実際、私たちは誰もが平均8個から10個の欠陥遺伝子を持っているという。この欠陥が生命活動と深く関わる重要な遺伝子に持った人が遺伝病に苦しむことになるのである。

5、ゲノムの示す疾病観
 DNAが異変を起こすとは生命体にとって本質的ともいえる性質であるならば、果たしてこれは遺伝子の「間違い」といえるだろうか。単純に健康、正常に対する病気、異常という概念だけでは遺伝子にまつわる病いの状況は理解できない。すべての人が何らかの表現型として現われた人が病人とされているだけなのだ。
 遺伝子の機能という視点からは間違え、異常といった姿しか見せられなかった遺伝子疾患が、生命の流れ、関係を示してくれるゲノムの目を通すことで、特徴、個性という姿を見せることが可能となるのである。
 病はそれが人間を苦しめるものである以上医療はその予防と治療に努めていかねばならない。しかし、その病を見る目を「遺伝子」から「ゲノム」へシフトさせることで病は社会的意味では欠陥ではなくて個性として見ることが可能となるのである。
 さて、私たちは分子遺伝学の進展により、観念的にではなく具体的なイメージとして遺伝子疾患を個性と見る視座を得ることができた。そしてこの病についての視座を求めているのが、まさに疾病構造の転換の進みつつある現代社会なのである。

6、現代社会に求められる疾病
 次にあげるのはアンドレ・ジットの日記の一節である。本論で私が求めてきた疾病観を端的に表している言葉なので多少長くなるが引用してみたい。
「病気は我々に対していくつかの扉を開いてくれる鍵だと思う。病気だけが開けることのできる扉もあると思う。今まで病気になったことがないと自慢する人で、いくらか馬鹿でないような人に出会ったことがない。旅をしたことがない人についても同様である。シャルル・ルイ・フィリップが、いみじくも病気を貧者の旅と呼んでいたのを思い出す。」
 ゲノムの概念は健康と疾病の関係が単純な二項対立的なものではないことを示してくれた。誰もが傷を持った遺伝子を持っている。今、私は傷という言葉を遣ったが、これは「遺伝子」の視点である。ゲノムの視点に立てば、これは一つの個性になる。
 これは遺伝性疾患のみならず病気は個人差があり多様、個性的であることともつながる。富永茂樹氏は、健康と病気の関係について次のように論じている。健康-病気の拮抗関係は本来人間の個人の生存における自然の過程であった。ところがそれが現代の健康追求型社会では、人間は健康に与し、病気や死を否定しさるという態度を取っている。この態度は、健康と病気の相互否定性を打ち消すことになり、自己を無化する(一層重大な死を招く)ことになるのである。自己の無化とは死以上の死、生の無機質化である。
 これは人生の日常生活に対する「旅」を否定することと同義だ。

終、新しい疾病観の示すもの-楕円の構造-
 富永氏の意見を、私は比喩を用いて表してみたい。その比喩とは、楕円の構造である。
 楕円は焦点を二点持つ。この二つの焦点が、生と死、病と健康である。二つの焦点を持つことでこの構造はダイナミズムを持つことができるのである。これまで長い間、死、病は強大な焦点だった。人間はその焦点を自明視し、生、健康の焦点といかにバランスを取るか、という点に知恵を傾けてきた。
 一方現代人は先端医療の力で病の焦点を消し去ろうとしている。しかし、社会の高齢化と共に慢性疾患が現在の医療の大きな問題となっている。その結果、完全な治癒を目指すというよりは、うまくコントロールするという形での病の焦点を認識することを余儀なくされている。
 新しい疾病観。これは、個体のレベルでは自分の体内にある健康と病の楕円を認識すること、そして社会のレベルでは社会の中に健康な人と病む人がいる、その楕円を認識することである。病の焦点を認識するというのは、社会が病を持つ人をサポートし、病との共存の道を探ることを意味する。これは病を克服し、その焦点を消し去ろうとする観点とは異なる。
 病をいかに克服するか、から病といかに共存するか、へ。疾病観の転換である。
 そしてこの新しい疾病観を示す楕円こそが、健康の焦点を強調して無理に円を形成しようときた、成長、拡大がスローガンのこれまでの社会に変わる、成熟した社会の象徴となりうるのではないだろうか。

参考文献
●松原謙一、中村桂子著「命のストラテジー」
 岩波書店
●中村桂子著「生命誌の扉を開く」
 哲学書房
●ロビン・マッキー著 長野敬訳
 「遺伝子治療最前線」 日経サイエンス社
●小林昌宏著「病いの論の現在形」
 青弓社
●米本昌平著「先端医療革命」
 中公新書
●C・エルズリッュ、J・ピエレ著 小倉考誠訳
 「<病人>の誕生」 藤原書店


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