“「男らしさ」「女らしさ」は今”
舞踊にみる日本女性のテンダーパワー
達 さつき(お茶の水女子大学文教育学部)
1、はじめに
(1)テンダーパワーについて
近頃、なかなか共感できる本に出会いました。シェリー・コーエンというアメリカの女性が書いた『テンダーパワー』という本です。『テンダーパワー』の中で彼女は、「ウーマンリブが起きた20年程前から今日まで、女性は社会進出し活躍の場を広げ、男性並の成功を収めつつある。が、その陰で、女性は大切なものを犠牲にしてきたのではないか。」と疑問を投げかけています。そして、男性並の「力」を手に入れるために、その代償として、本来女性に備わっていた「やさしさ」を失ってはならない。」と主張し、「テンダーパワー」という言葉を私達に提示しています。コーエンの定義によれば、「やさしさ(テンダー)」とは、あたたかさ、共感、いつくしみ、人々とのつながり、直感、助け合いといった女性が本能的に持ち続けてきた特別な力の根底にあるものです。一方、「力(パワー)」は、知的自由、経済力、指導力、資力、決断力、イエス・ノーをきっぱり言う力、世の中を変える力、政治を動かす力というような過去20年に女性が必死で獲得してきた成果とも言うべき力であり、手段なのです。そして、彼女はこの二つを合わせたものを「テンダーパワー」と呼んでいます。愛情だけでも、権力だけでも足りないけれど、愛情のこもった権力ならばどうかしら?、繊細さと強さの両方を合わせ持った繊細な強さはどうかしら?、同情的な指導力なんていうのはどう?、とテンダーパワーの両方の魅力を合わせた「テンダーパワー」について述べているのです。
私にとって、この本の内容は共感できるところが多く、このテンダーパワーというとらえ方が、これからの社会におけるジェンダー(性の役割り)の問題に対して良い方向に影響を与えるのではないかと思います。「力」だけでもなく、「やさしさ」だけでもなく、両方を兼ね備えた「テンダーパワー」こそ、今女性に、そして、男性にも求められているのです。
(2)主旨の設定にあたって
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回の私の論文の主旨は、「舞踊を通して、日本女性のテンダーパワーを探る」ということです。この主旨が生まれた経緯を説明しますと、まず、『テンダーパワー』の翻訳者である樋口容視子さんの「あとがき」に次のようなことが書いてありました。「もっとも、『テンダー』については、私達日本人は、アメリカ人よりよく知っているような気がします。無意識のうちにテンダーパワーを使っている女性は多いはずです。」私は、このことがとても気になりました。実際、アメリカ人はテンダーパワーの概念を「女性的なもの」としながら同時に「日本的なもの」としてとらえているようなのです。そこで、私は、日本女性の中に潜んでいるテンダーパワーについて考えてみようと思ったのです。そして、フェミニズムや歴史上の事実については十分な知識のない私ですが、好きな舞踊(ダンス)のことからなら何かわかるかもしれないと思い、私なりの考えをまとめてみることにしたのです。
2、舞踊の中にみる日本女性のテンダーパワー
(1)舞踊と社会と性
好きだからといって、何でもくっつけてみればいいってものじゃないわよ、と思われるかもしれませんが、「舞踊」を通して社会を見る、人間を考えるということは(あまり知られていないかもしれませんが)たいへん価値のあることだと私は思っています。舞踊の中に潜んでいる日本女性のテンダーパワーについて調べる前に、舞踊と、男らしさ、女らしさ、ジェンダーとの関係について述べておこうと思います。
舞踊は、時代、地域、生活に応じて変容しながら、人間が何を求め、如何に生きてきたか、また、生きようとしているかの一つの証として存在する文化であるといわれています。世界中の全ての国や民族が自分達の音楽を持っているのと同様に、必ず、その国その民族独自の舞踊が存在してるのです。そして、それは必ず、背景となる社会や人々の思想に影響され、今日まで受け継がれているのです。時には、国家形成のために、民族統一のため舞踊が利用されることもありました。性との関係についていえば、舞踊は男女の結合をうながしたり、結婚のためのセレクションをしたりする機会でもありましたし、舞踊の動きは、性的エモーションを描写するマイム的動作でもあるといえるでしょう。また、私達の日常動作における男らしさ、女らしさの性質は生得的なものというよりは、そのほとんどがしつけなどの社会環境によるところのものであり、舞踊はそこを強調することによって性差を魅力的に表現し、一つの技として確立させてきたのです。つまり、舞踊の中の表現は、その舞踊の背景である社会とそこに存在する男と女の姿を写し出しているのです。
(2)日本舞踊の特徴を支えるテンダーパワー
●色気の美に隠された肉体の力
大学に入学してから、それまで洋舞しかやったことのなかった私が、学科の必修実技として初めて日本舞踊を経験しました。基本姿勢からお稽古したのですが、思っていた以上に運動量が多くすごい筋力を必要とする踊りだと実感しました。バレエでは、脚を高く上げたり、くるくる回ったりしてとびはねている姿を見れば、その運動量の多さは素人でもいくらか想像できるものでしょう。けれど、日本の踊りは何だかあまり動いていないような感じがします。若い人の中には「ちっとも動かないんだもの、眠くなっちゃうよ。」と思ってしまう人もいるかもしれません。が、しかし、日本舞踊において女性の色気を表現するのは、強い肉体の力が必要なのです。ここで大切なのは、日本舞踊の過去には全て男性だけが演じていた歴史を持ち、女方は男の無骨さをいかに隠しいかに女らしくみえるかに精魂をつくして独自の技法を生みだし、色気の美学を完成させたということです。衣裳を切りつめたバレエのチュチュが純粋な女の肉体の律動を表現しようとしたのとは全く逆に、日本ではできるだけ衣裳の線におきかえて、直接の肉体の線を消してまう方向をたどってきたのです。袖や裾で隠された肉体の力が間接的に女の色気を表現してきたのです。実際、私がお稽古するときも、先生がよくなったとほめてくださるときは、もうだめだと思うくらいの筋肉の限界を感じていることがあります。素人の私でさえ、内面に内面に潜めるべき肉体の力を感じることが出できるのですから、プロとして踊っておられる方々の美の表現の陰に苦痛はどれほどすごいことでしょう。3世中村
治郎さんが西洋の舞踊の伸びて解放するというイメージと比較して、「日本の伝統芸能は、人間の肉体を苦しめて、そこから出てくるエネルギーみたいなものを楽しんでいただこうという芸能だと思うんですよ…。自分を苦しめるというのが一番大切だと思うんですよ。もう心臓でも止まりそうな芸。自分の肉体を苦しめていい形を見せるとか…。」と語っているのを「演劇界」の誌面でみつけたときは、“やっぱり”と思ってしまいました。
日本舞踊の中にみる女性の踊りのあのやわらかで繊細な色気の美の奥には、それを支える訓練された強靭な肉体があるのです。
●「静」の圧力
バレエダンサーが舞台の端から端まで使って軽やかに跳び、踊るのに対して、日本の踊りはほとんど「その場」で踊ります。舞台空間の使い方を考えてみれば、バレエを「動」とするなら日本舞踊の方は「静」でしょう。けれども静かだからといってパワーがないわけではありません。観客は、踊り手のその静かな動きの奥にひしひしと伝わってくる何かを感じます。そして、もちろん踊り手の方も、外から見れば激しく踊っているとは思えないような場合でも、実はすごい運動量を示しているのです。「道成寺」の鐘入りの場面が近づいてくると、花子役の心拍数は、マラソンを走るランナーの心拍数に匹敵するほど上がるともいわれています。
動けるところを動かずに何かを表現する、そこには、日本独自の「静」が生み出す強大な圧力があるのです。
●ひかえめな卓越力
男性と女性が一緒に踊るとき、西洋の舞踊の中に多く見られる特徴は、女性が男性にその身をまかせるということです。バレエでは女性は男性によって高々とリフトされ、まるで妖精のように空中に舞うのです。その光景は透明な輝きを持つと同時に、身体の限りない解放と自由への挑戦のようにも見えます。しかし、重大なことは、その身体は男性ダンサーによって支えられ、彼女の美しいポーズは、彼しだいだということです。同じようなダンスの光景は、ハリウッドミュージカルの初期の作品の中にも見ることができます。女性は美しく踊り、確かに目立っています。けれど、それは常に男性の思うがままなのです。
さて、一方、日本の舞踊では、男の方が女のひざまくらに横になることはあっても女性(女方)が相手役の男性に踊りの中で持ち上げられるというようなことはほとんどないでしょう。日本の舞踊の中の女性は決して、相手の男性の力によって、他からの卓越を計ることはありません。相手の踊りを自分が殺してしまうことが決してないように、相手との距離をひどく気にします。そのひかえめな態度が女性としての魅力にもつながり、また、逆に、相手と自分とのハーモニーを大切にしているからこそ、ふと自分がもっとも映える間を心得てしまうことがことができるのです。
日本の舞踊の中で、男女が踊るとき、女性はあくまでひかえめです。けれど、彼女のあでやかさは彼女自身の力によって観客の心にやきついてしまうのです。ひかえめでありながら、卓越してしまうのです。
●柔軟性による征服力
過去において、日本の踊りは全て男性によるものであったということはもう述べましたが、歌舞伎舞踊も、お稽古事としてなら、すでに江戸時代から多くの女性に踊られていました。そして、現在も、歌舞伎の役者はやはり男性ですが、舞踊界には多くの優れた女性舞踊家がいます。ここで述べる日本舞踊の特徴は、男性も女性もそれぞれ、男の踊り、女の踊りの両方を踊ることが可能であるというということです。もちろん、他の国の舞踊の中にも男性が女の踊りを、女性が男の踊りを踊るケースはありますが、その多くが、大きな仮面をつけたり、衣裳の色や形に差をつけたりすることで性差を表しています。それらと比べていえることは、日本の舞踊の中では、衣裳や化粧の効果も大きいのですが、それらよりも、舞踊の動き自体が、そして、その動きが生みだすムードそのものが、男らしく、または女らしくあるのです。すなわち、日本舞踊の世界では、女性は男性になりきれるのです。もし、バレエで男性ダンサーがチュチュをきたら喜劇になってしまうでしょうし、女性ダンサーの筋力では男性の踊りの良さを表現するのは困難でしょう。しかし、日本舞踊では、それが可能です。男が踊る女が、女が踊る男が、十分に芸術の域に達しているのです。
つけ加えになりますが、日本舞踊には「変化物」という踊りがあって、一つの踊りの中で演じる役が次々に変わっていきます。男女の違いだけでなく、年齢や身分など様々な要素の異なる踊りを一人の踊り手がこなしていくのです。
このように、男が女を、女が男をためらわず踊ることができ、しかも、それが美しいと思われるのはなぜでしょうか。私はこのことを考えるとき、もともと日本人には、男性にも女性にも、異性に対して、自分にないものを求め、そして互いにあこがれ、認め合うというやわらかな愛情が備わっていたのではないかと思うのです。それが舞踊の世界に表現されているのではないかと。日本の舞踊家たちは、このように他を受け入れる柔軟性のおかげで、自分とは違う人物の踊り数多く征服できるのではないでしょうか。
(3)現実世界における日本女性のテンダーパワー
日本の舞踊を支えてきたテンダーパワーを私なりに発見して四つ程挙げてみたわけですが、これらのテンダーパワーは現実の日本の女性、そして男性にもあてはまるものだと思います。舞台の上は架空の世界です。けれども、その舞踊を踊り、伝承し、楽しんできた人達の心を無視することはできないと思うのです。厳しい修行や訓練によって、自分自身を鍛えあげて初めて、本当のやさしさや美しさを得ることができるのだという考え方、静けさの中で無心になり、物の真実を見きわめる精神力を養うという方針、相手の立場を尊重し、相手の身になって考えることが、逆に自分をいかすことにつながるのだという教え、そして、他人の持つ優れた面を素直に認め、受け入れるやわらかな心が、昔から日本人の理想を支えてきたのではないでしょうか。舞踊の中にみたテンダーパワーは、昔から日本の女性に伝えられていた力ではないでしょうか。
戦後、西洋社会から様々なものを取り入れ、経済大国となった日本ですが、物質や技術と同様に、思想や文化も吸収してきました。ただ、その代償にもともと私達日本人が持っていたはずの優れた「テンダーパワー」を見失ってはならないのです。男女が差別されないからといって私達女性が男性のやり方をとっても、それは、女性の持つテンダーパワーを無駄にしてしまうし、国際化社会だからといって、西洋のまねばかりしていては、日本人のもつテンダーパワーを台なしにしてしまうでしょう。これから、私達日本女性は、女性として、日本人として、そのテンダーパワーを大いに発揮して、男性とともにより人間的で居心地のよい社会を作っていかねばならないのです。舞踊の中に生きている、やさしく、強く、美しい女性たちのように。
3、さいごに
この論文を書いているうちに、日本人であり女性であるというその事実から、自分の持つ潜在的なテンダーパワーの可能性を思うと、何だかうれしくなってきました。私の周りには、すでにそのテンダーパワーを発揮して輝いている、尊敬すべき女性がいますし、私達も、きっとそうなれるはずです。「女らしさ」という言葉は、女性を束縛しているように思ったこともありましたが、今は、その女らしさ、すなわち、テンダーパワーを使って生きていくことはすてきなことだと思います。そして、日本の男性たちにも、このテンダーパワーの威力に気づいて、身につけてほしいと思います。テンダーパワーは何も女性のためだけの能力ではないのですから。
今日も、また、私自身のテンダーパワーを信じて、新しい発見のために踊ってみようと思います。
参考文献
●シェリー・コーエン「テンダーパワー」
共同通信社
●西形節子「日本舞踊の世界」
講談社
●「演劇界」 演劇出版社