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“「男らしさ」「女らしさ」は今”
『表現の自由と現代社会の問題』

柴田なつみ(筑波大学国際関係学類)

 

 今こうして男らしさ、女らしさを問うことは、そのまま現代の社会の在り方を問うことであると思う。古代から人は性別を意識してきたし、それを表現することから文化が生れてきた。各時代ごとの男らしさ女らしさは、それゆえ、見事に当時の社会を凝縮して、余すことなく私たちに伝えて来る。古代中国の纏足から、ヨーロッパの騎士道。切腹、お歯黒、女大学にコルセット。果てはボディコン、ボディ・ビルまで、時を超えて現代の私たちのまえに、その時の社会を鮮やかに描き出してくれる。
 人間に時代や社会が押し付けた“らしさ”は、時には不自然に体を歪め痛めつけるものであり、命を要求するものであり、逸脱を許さない制約として個性を殺すものでもあった。骨がとびでて奇妙に変形した纏足の写真ほど、私たちに人間であることの愚かさや、やりきれなさを痛感させるものはない。しかし、おそらく愛しい女(ひと)のために作られ贈られたのであろう、素朴な形の髪飾りほど、心を優しい思いで満たしてくれるものもないのである。
 男らしさ女らしさは、社会制度の秩序維持や制裁の道具となって、人を抑圧し犠牲にするものであると同時に、生活を豊かに彩ったものであったのだ。かつて人は、属する社会によって今よりはるかに多くの制約を受けながらも、いや、それだからこそ、男と女であることを楽しまずにはいられなかった。押しつけられた“らしさ”とは別に、あまり自由の許されない中での精一杯の感情の発露が結晶した結果それが生れた時もあったのだ。男と女であることは、またその表現方法も今ほど自由ではなかったけれど、だからこそ一人一人がぎりぎりの、自分なりの“男らしさ女らしさ”を持っていたのではないだろうか。
 というのは、歴史上、最高の数の人が最大の表現の自由を勝ち取ったはずの現在、男らしさ女らしさは、表現としては最も貧弱になっていると感じずにはいられないからである。
 マスメディアは、理想の男女から恋愛のやり方、異性の魅きつけ方まで、雑誌、ドラマ、音楽を通して人々の脳裏に焼き付け、送り込まれる情報を、まるで洗脳されたかのように、人は脳裏に焼き付ける。その繰り返しによって、極端に言えば、男らしさ女らしさは性愛の技術になり下がり、男と女は自動的にオスとメス、もっと言えば性器に還元してしまった。加えて男と女の不自然な均質化が進行しているのが、現在の状況ではないだろうか。
 理論的に言えば最大の自由と最小の制約の中で、人は思うままに自分を表現し、人の数だけの男らしさ女らしさが生まれていいはずなのに、現実では親切に方法を指導してくれる情報による、恋愛と個性の均一化が起っている。既成の服を買うように、私たちは、ドラマの中から恋愛を選び、情報が教えるところの“いい男”や“いい女”と、選んだ恋愛をしている。そして恋愛の手段だけでなく、ゴールさえ自分では決めることができないでいる。最も人間臭い部分のはずの恋愛がいつの間にか大量生産され、皮肉なことに最大の自由の海の中で、自分がどこへ行きたいのかも分からずに溺れているのかも知れない。洗練されたと人の言う異性を魅きつける方法も、ホテルのディナーも、セックスも、私たちが本当に欲しいものだったのか。氾濫する情報の洪水に押し流されて、残ったのは、同じような服を着せられた本能の残骸だけではなかったか。
 表現の制約、抑圧の強い国であるほど、社会風刺は研ぎすまされ、表現は限界まで極められると言う。例えばファッション産業花盛りの昨今だが、奢侈禁止令で贅沢を禁止された江戸時代、限られた色に四十八茶百鼠と言われるほどの多彩なバリエーションを見出した色彩感覚に、匹敵する物を持っているだろうか。また、表現の自由の申し子のように持て囃されているヘアー・ヌードだが、動物の一匹に過ぎない姿に女らしさなり色気なり見出すことは不可能である。情欲を引き起こすことはあり得るかもしれないが、それは決して女らしさと同一のものではない。なぜなら、女らしさとは性そのものではなく、文化を通して現される個性の一つだからである。むき出しの裸体に性はあっても、個性はない。
 制約とともに、表現意欲も消えたのだろうか。無くなったのは、制約ではなく節操だったのかも知れない。
 女らしさと口にした途端、女性差別者と攻撃される今日この頃だが、確かに固定観念的な強要された女らしさもあったけれど、(纏足はその好例である)そうしたネガティブな側面ばかりだったわけではない。男と女の違いは、どの文化でも認められていて、必ずしも男性優位ではなかった。不幸なことに肉体的優劣ばかりが認識され、それによって生まれた差別が女性を低い地位に貶めてきたのも事実だが、差異の意識が文化の多様性を作ってきたのも否定し難い事実である。
 ところが現在では、強迫観念に憑かれたように平等が求められ女らしさが否定され、女であることは性別でしか認識されなくなりつつある。たとえ制約があっても、女らしさが“表現”される社会と、性が即、女らしさ、売り物となっている社会では、どちらが女性を、貶めているのだろうか。
 “異なること”は、興味の、愛の、尊敬の出発点であった。その意識が発展して色々な形で表現されて、文化の原点となったのである。男女の違いは、今のように頭から否定され、不自然なまでに無視されるべきものではなく、むしろ尊重されるべきものではないか。少なくとも、性がむき出しにされているよりも、文化によって表現される方が、よほど進歩的である。
 男らしさ女らしさを表現することも要求することも、人を貶めることではない。今のように個人が性を売り物にし、人を性そのものとしてのみ把える方が、よっぽど人間の尊厳を奪う行為である。
 平等と equality が履き違えられて押し進められた結果、起ったのは 平等化ではなく均質化であり、残ったのは大量生産の、顔のない人間だけだった。
 遺跡が毎日のようにブルドーザーによって粉々にされ、その後には、一面無表情な平面だけが延々と拡がっているように、男らしさ女らしさも、前時代の遺物として消えて行くしかないのだろうか。両方とも、合理化を追及する近代資本主義にとって障害物でしかなく、従って着々と始末されていくのだろうか。文化を失った後の土地が、寒々しく人を寄せ付けないように、個性をなくした人間がつくる社会も、味気無いものである。それが自由の代償なら、失くしてしまった物の何と大きいことだろう。
 各時代にそれぞれの“男らしさ女らしさ”があったように、現代には現代特有の“らしさ”があっていいはずだ。だが、男らしさ女らしさを今改めて求めるなら、それはどんな物だろう。文化を通して現される個性と書いたが、それでは現代の文化と自分自身の個性とは何かと問われて、すぐに言葉にすることはできない。女々しい、男気、男勝り、女だてらに、男勝りなど、性的役割を暗示した言葉はほとんどが気性を示す言葉である。そうした表現から導かれるのは「自分を捨てて人を助け、弱気を守り強きをくじく」理想の男性像と、「つつしみ深い」女性像だが、すべての男が他人を守れるほど強いわけは無く、女がいつも黙っていなければならない道理もない。男と女の間の違いが個人を基準にしてではなく決定され、それが固定観念という社会圧力と化して個性の表現を制限、圧迫してきた不幸な歴史を繰り返すことはない。男女の違いは事実と異なって誇張されれば、差別を生むし、無理して無視されるのも不幸な結果につながる。
 男と女が社会で半分ずつ息をしているのは、今も昔も同じである。今が昔と区別されるとしたら、異なる文化と交流できる技術、生き方を選べる自由、そして表現する権利を持っていることだろう。異文化間の格差が、同じ文化のゼネレーション・ギャップより小さいことは、もはや珍しいことではない。ロック少年にとっては、明治生まれの祖父よりもイギリスのパンクの方が精神的に近い存在だろうし、自分の時代の女らしさを押し付けて来る母親に辟易して、娘がアメリカのフェミニズムに傾倒することもあるだろう。同性愛者が社会から迫害されていた時代は、過去のものになりつつある。空間を超えて連帯し、社会差別を打ち破って表現の自由を手に入れた結果、だが個性を喪失してしまった人が多いのは皮肉なことである。男や女である前に人間であり、男らしさ女らしさは豊かな土壌にしか花開かない。個性なしでは単なる媚びになってしまう。
 社会制約からの開放を、ライフスタイルの拡がりだけに終わらせるのは、悲しすぎる。目の前にある物の中から選ぶという消極的な生き方では、自ら自由を放棄しているだけではないか。そこから個性は生まれてこない。社会は変転し続けてきた。だが、いつの時代にも社会を作ってきたのは、男と女だった。人がいて、個性が生まれ、男と女が居て、愛情が生まれる。人が人を愛するのは、その人の個性ゆえであろう。よって大量生産化された人間の、技術の問題になり下がった恋愛の中には、愛が生まれるわけはない。
 本当の男らしさ女らしさとは、愛情表現の一種である。人間が歴史の中で、誇りを持って性を生きられるように、本能のみの動物に堕ちないように、個性を豊かに表現するために、作り出されたものである。だから現代の男らしさ女らしさとは、私たちが自分自身を発見し、個性を身に付け、物真似でない愛を体験する時に、一人一人に相応しい形で表れてくるものではないだろうか。


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