“「家族」はどこへ”
家族の行方-消えてなくなる前に、取り戻す
竹内 絵津子(東京大学大学院教育学研究科)
はじめに
家族の数だけ問題があり、失敗しない家族なんて無い。とはいえ、私自身は私の家族しか知らない。私の家族がかつて抱えた問題が、世間によくあることなのか、固有のものなのか、問題の渦中にある時はわからなかった。いや、当面の問題を解決することで手一杯で、家族とはそもそも私にとって何なのかという問題を真面目に考える余裕がなかった。
さて、両親の家を離れた今、自分の両親を中心とした家族も、実は時代とは無関係でなかったことが客観的に理解できるようになった。書物や映像を通じて時代を知るにつれて、私は自分の家族への興味をかき立てられた。さらに私の家族が取り囲まれていた時代に興味がわいた。
時代がわずかに違う、二つのそう古くない映画に描かれた家族を比較して、家族観の変化の方向と、それをひきおこした時代の変化を明らかにできないか。次に多くの人が自分のかぞくについて述べた最近の証言集を検討することで、いま普通の人々が家族にとって何が大切と考えているか把握できないだろうか。そして最後にこれらの資料をふまえて、これからの家族には何が必要か、私自身の考えを明らかにすることを本稿の目的としたい。
一、映画に描かれた家族
映画には、従来より多くの家族像が描かれてきた。私の家族が生きてきた時代はどのような家族像があったのかを知るために、まず自分の家族と同時代の映画を頭に浮かべ、さらにそれらの中から、登場人物のライフステージと年令が、映画の発表された当時の私の父のそれに近い物を考えた。そして題材として、「家族」(一九七〇 松竹 山田洋次監督)と、「家族ゲーム」(一九八三 東宝 森田芳光監督)を選んだ。これらの二つの映画は、発表された年が十三年しか隔たっていないにもかかわらず、登場する家族像が時代を反映してはっきりと変化していることがわかる。
「家族」には、夫の転職(炭鉱労働者から酪農家)、引っ越し(長崎県西彼杵郡伊王島から北海道根室支庁中標津)という環境の変化にさらされても、新天地で逞しく生きていこうとする家族の姿が描かれている。
夫は、人に使われる生活を止めたい、貧困から脱出したいという動機で転職を希望していた。
最初反対していた妻も、「とうちゃんがそこまで言うなら、開拓は一人もんではきついし続かんて言うから」と、ついてゆく決心をする。
長崎から中標津までの移動は、今日ならば、朝の飛行機で長崎を出て、東京で乗り継ぎ、その日のうちに中標津に着くことが出来る。よしんば飛行機を使わないにせよ、博多から新幹線に乗り、東京で札幌行きの寝台特急に乗り継ぎ、南千歳で釧路行きに乗り換え、釧路からバスで中標津に向かえる。ところが、映画の中に描かれた一九七〇年当時、長崎から北海道までの移動は本当に大変だ。
当時でも飛行機を使えば一日か二日で着くことが可能であっただろうが、貧しい一家の移動に飛行機は使えない。新幹線も東京-大阪間だけだった頃の話だ。老人と幼い子供づれでこの移動は、極めて過酷だ。この過酷な条件で、北海道行きを敢行しようとした夫の決心の固さを表現しているのだろう。
途中大阪で時間があるからと立ち寄った万博見物が仇になり、疲労が原因で長女は東京で死亡、慣れない東京で葬儀を済ませ、再び北海道に向かう。季節もいまだ冬の北海道に着いたとたんに夫の父は死亡。一週間たらずのあいだにこれだけのドラマが詰め込まれている。途中「なんでこんなに辛い思いばせなあかん」と妻は夫を責め、夫は「なんでついてきた」と妻や父を責める。それでも後戻りは出来ない。
悪条件がこれだけ重なっても、この家族は一緒に波を乗りきってゆこうと、明日を見ている。家族は船であり、砦として捉えられていた。そして押し寄せる波の中には家族の死や、生誕も含まれている。人生がそこにあることを実感できる。観客も画面の中の展開と、悪条件が重なっても立ち上がる主人公たちに、素直に共感できた時代だったのだ。映画の送り手側にも、受け手側にもなんの気負いも無かった時代だったようだ。
この映画が制作されたとき日本は高度経済成長期にあたる。画面にも車窓一杯に立ち並ぶ煙突、開発される新興団地を写される。また都会の雑踏と万博に集う人々の賑わいに当時の活気が感じられる。日本全体が経済面での発展を目指して伸びていた時代だったのだ。
その中で、家族で新天地を目指し、新しい物を作ることを夢見ることが可能な時代であったようだ。
新天地をめざして移動してゆくこの家族と対照的に弟の家族を配置している事が面白い。すなわち、工場勤めでそれなりに給料は貰っているが家や車のローンを抱え、父を引き取る余裕はない。一方父を引き取れない良心の呵責に悩む。しかし彼も自分の子妻や子供のために家を買い、車を買い、支払いのために必死でこれからも働き続けるだろう。兄の家族は理想であり、当時の家族にはこの弟の家族の型が増えてきていたのかもしれない。
いずれの家族にせよ波を乗りきってゆくための船であったように思える。
これに対して「家族ゲーム」の中で描かれている家族の事件は子供の受験だ。
自分の妻や子供のためと思って働き続ける夫と、痒いところに手が届くような世話を夫や子供に対して焼く妻、問題のないと思われる長男、成績がよくないことを除いてはこれも問題のない次男。この四人家族に訪れた次男の受験という事件。ちょうど「金属バット殺人」が世間を賑わし、受験生を抱えたとき家庭内の重圧感が家族を歪めていくことが問題として取りだたされた時代だった。
この作品の中では家庭教師が重圧感の逃げ場、ガス抜きの役割を果たしている。この家族は家族だけではうまくコミュニケーションがとれず、事件の前で緊張を繰り返している。
舞台は、団地内の一室がほとんどで、動きがない。登場人物はほとんど家族に限られていて、家族以外との交流がない。家庭教師が、この家族に係わる唯一の大人だが、これは次男の成績を上げたら得られる報酬と引換えになっている。視点が子供の目の高さで、親、教師以外の大人が出てこないのだ。
父親は、受験の目的をこう説明する。「いい高校を出て、いい大学を出ることはいいことにきまっている。」
母親は、「おとうさんに私が叱られるでしょ。しっかりやってね」と優しく励ます。が、いずれも説得力に欠ける。主人公の次男も、観客も誰も納得していない。
さて、この作品の登場人物は、家庭教師の男を除いて誰も存在感が希薄だ。たとえば、父親はなんの仕事をしている人だか分からない。住んでいる場所も川沿いの団地だという事が分かるだけで、具体性に欠ける。この具体性に欠けて、存在感の希薄なところが、かえって画面に真実味をもたせ、観客にあたかもこれが隣でおこっている出来事であったかのように感じさせる手法なのかも知れない。
言葉のやりとりの中に、感情の吐露がない。登場人物の存在感の薄さはそんなところからもうまれているようだ。幸い次男は高校に合格する。家庭教師は取り澄ましたこの家族の象徴であるテーブルをひっくり返して出てゆく。
この映画に登場したような家族が実際にあるとは思えない。が、一九八三年当時この映画が支持をあつめたのは、この映画が現実の家族の巧妙な戯画だったせいだろう。
二つの作品の中に描かれた家族像の違いには、監督の作風の違い、描かれた家族のライフステージの違いも含まれている。しかしそれらを差し引いたとしても、家族像がこれほど変化するのに、たった十三年の年月しかかからないとは、全く驚きだ。なによりも「家族ひとりひとりが弱くなった」という印象が残った。
二、現実の家族
二つの映画を見て、「家族一人一人が弱くなった」と感じた。
何故だろう。
実際、存在感に欠ける家族がうまれてきたとすれば、その背景は何なのか。
(1)家族が家庭にいる時間が短くなった。
一九九〇年のNHK生活時間調査でもこの事は指摘されている。長時間通勤、塾やけいこ事がよい、主婦の就労。これらは、すべて家族の在宅時間を短くする方向に作用する。
(2)家の中の仕事や、楽しみが家の外に求められるようになった。
そもそも産業の発達が、家内制手工業が、工場制手工業に変わることで始まったように、家庭の中から、商業ベースに乗るものは次々と持ち出されていった。いまでは家事の外注、娯楽の外部化、(景気が後退した今は、かなり下火になったと聞くが)行楽としての外食。要は家の中でやることが少なくなってきたのだ。殊に家族でものを作り出す能力が低下してきたように思う。
(3)外圧の減少
全体が豊かになったため、日本では貧困に対して家族で立ち向かう必要が薄れてきた。その一方で、住宅やその他の商品のローンの返済が家計を圧迫する。これらは見かけの貧しさを伴わないから、家族全体で立ち向かわねばならない外圧として意識されにくい。ところがいったん破綻すれば、世逃げ、離婚、一家離散、悲惨な結果が突然来る。
さて、存在感の次第に薄れてきた家族はこのまま消えてゆき、世の中には根無し草のような個人が蔓延するのだろうか。
私はそうは思わない。形こそ多様になったが、人は必ず家族を必要とすると思う。家族であることを長く楽しめる時代が来ているのだと思う。
そうするにはどうしたらいいのか。私なりの考えを述べたい。
(1)家の仕事を家族に取り戻す。
ただし従来の性的役割分担は、働く女性が多い昨今は、はやらないから、せめぎあい、押しつけあって負担する。せめぎあっているのが面倒だからと、出来る人がさっさとやってしまうことは、他の家族の能力を奪ってしまうことになるからさける。殊にものを作る能力が家族一人一人に戻ってくれば、家の仕事は楽しくなる。
(2)家族はトレーニングの場である。
まず、家族の中での「個人専用」にある程度歯止めをかける。歯ブラシや茶碗、タオルはともかく、個人主義や個性の尊重と家族がホテルの宿泊客のようになる事は違う。家族共有の物はルールを作って使う。ここに必ずせめぎあいが生じる。これはわずらわしい。しかし世の中自分の思いどおりに行かないことが多いのだから、家族の中でせめぎあうトレーニングが出来ていれば、家族以外と接したときも免疫が出来ているから驚かない。
(3)家族は身近な観客だ。
誰でも自分のしたいことや自分の考えを人に聞いてもらいたい。自分を見てくれる観客が欲しい。この時家族は無償の、身近な観客だ。
家族が観客になってくれるのは、たいてい子供が小さい頃、小学校の運動会や学芸会だった。この面白さが、子供が大きくなったあとも家族の中で続くと楽しい。見てもらうのはパフォーマンスだけとは限らない。日々の生活、最近の考え、何かをきちんとまとめて聞いてもらう雰囲気が家族にあれば、家族は立派な観客だと思う。ただしこの時、親の立場、子の立場は忘れる。もちろん親が演出者の時も絶対必要だ。大人の議論、発表の仕方、芸、このような物を培う下地が家族の中にあってもいいと思う。更に、家族だから言わなくて分かるだろうという甘えは許されない。言葉による表現が他人に対する時以上に重要になると思う。
以上が私の、これから家族を楽しむ方法だ。これは私の独りよがりな考えかもしれない。しかし、多くの人にそれぞれの家族観を語ってもらった証言集を参考にしても、家族の中には幸せがある、たとえそれがどんな形態をとっていても、ということを述べている物がなんと多いことか。よしんば家族に不幸な事態が訪れたにせよ、人と人のつながりの中に安らぎや解決があったことを述べる人の多いこと。
何のことはない、人は一人で生きてゆけるものではないという、古来の格言どおりだった。
むすび
家族とは外圧と内圧の釣合がとれたときうまく膨らんでいるゴム風船のような物だと私は考えている。外圧が高ければ、内圧を高くしないと間を隔てる膜は破れてしまう。貧しさや厳しい状態が続くという事が外圧とすれば、内圧を高めるために、家族の構成員一人一人が活性化している状態が続く。活性化して内圧を高めなければ家族という風船は割れてしまう。ところが豊かな生活が普及し、貧困という外圧が少なくなった今、内圧を高める必要もない。やがて活性化することも忘れてしまえば、個々の家族のパワーも落ちてしまう。
以下にあげるような条件も、家族というものの持つゴム風船のような柔軟さで乗りきれてきたと思う。
●小家族化の進行
●離婚率の上昇
●共働き家族の増加
●単身家族の増加傾向
●国際結婚の増加
家族というものがゴム風船のように伸縮自在だとすれば、理想の家族像を掲げることはナンセンスだ。多様化の問題は本来家族という集まりが持っていた一つの性質が、明らかになっただけに過ぎない。家族を卵の殻のように固い殻に覆われたものとして捉えるとすれば、家族の崩壊は問題だ。なぜなら殻が割れれば中身は死んでしまうからだ。
人間の作った家族はそれほどやわではないと思う。それぞれの家族は、それぞれの立場で自分たちの問題に取り組み、解決してきたはずだし、これからもそうしていくだろう。そして家族は人のつながりの基本だが、その家族の中でも言葉による表現能力は重要になろう。
参考文献
●「家族」 一九八六 晶文社
●NHK生活時間調査 一九九〇