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「老人医療」なんていらない
ボクのトラバーユ

星 作男(大阪大学医学部)

 

 「老人医療」なんていらない。もし僕が、こう断言したら、あなたはどう思いますか。しかも、僕が医学部の学生だと聞いたら。さあ、気を静めて下さい。僕には、あなたの怒っている顔が目に浮かびます。でも、あなたは「老人医療」について、どれだけの事を知っていますか。どれだけ真剣に考えた事がありますか。とっても大きくて複雑そうにみえる問題も、実はとても些細なことに原因していることがよくあります。
 あなたは、まだ納得できないという顔をしていますね。それでは、あなたに聞きます。「人を差別することは良いことですか。」「そんなのいけないに決ってるじゃないか。」あなたの声が聞こえます。「人はお互いに、助けあうべきですか。」「そんなの当然じゃないか。」あなたの、むっとしている顔が目に浮かびます。でも、なぜ障害者施設を作ろうとすると、決って地域住民の反対が起こるのですか。あなたは、問題を他人事として、あまりにもきれい事として考えていませんか。自分の胸に手をあてて、本当に考えて下さい。本当のことを知ってほしいのです。本当のことが知りたいのです。

 当時、僕は東京大学理学部の大学院生だった。もともとは、薬学部の出身だったけど、お医者さんと患者さんの間にはさまれて、何となく中途半端な感じがいやだったし、何よりも「応用科学」という言葉が気に入らなかった。そこで、「純粋」のにおいのする理学部へ逃げ込んだ。基礎=純粋だと信じこんでいたし、学問を根底から支えているという自負があった。何よりも「basic science」という言葉が、何とも耳ざわりが良かった。だから、なるべく世の中の事、いわゆる世俗的な事から遠ざかりたいと思ったし、そうすることが、偉いことだと信じていた。
 この世の中で何が幸せかって、「知らない」ことほど幸せなことはない。生まれながらにして目の不自由な人が、手術のおかげで視力を取りもどした。さぞ幸せだろうと思ったら、色々な物が目にとび込んできて頭痛がして、目を開けていると、かえって恐くて歩けないなんて話を聞いたことがある。でもその人は、本当に目が見えないままの方が幸せだったのだろうか。もし僕が、毎日研究室に閉じ込もりっきりで、それこそ年が明けたのも知らずに実験に没頭し、生涯を終えることができたなら、「自分は何て幸せなんだろう。」と思ったことだろう。そんな僕に、「もしかしたら違うんじゃないか。」と疑わせる大事件が起こった。
 親爺は大正生まれの頑固者で、暇さえあれば戦時中の苦労話をする、典型的な戦中派だった。シベリアから、内地へ復員した親爺は、元軍人は優遇されるという理由で、警察官になった。とは言え、小学校しか出ていない親爺が、一生外回りだったのは、仕方のない事だったのだろう。
 親爺のことを聞かれても、あまり覚えていない。一緒にいたという記憶がないからだ。特に大学に入ってからというもの、「オレは学問に生きる。」「家は帰って寝るだけ。」という感じだったから。不思議なことに、最近になるほど、親爺の記憶が薄い。
 親爺が倒れたのは、大学3年生の時だった。心筋梗塞だった。一瞬の動揺はあった。が長くは続かなかった。治療費はただ、だったし、すぐに、体調をとりもどしたように見えたからだ。実際親爺は、すぐ職場に復帰した。その後も、働いては体をこわし、又退院しては働いて、気がついてみたら、自分が大学院に入学した頃には、車椅子の生活をするようになっていた。親爺は、いくつかの病院を転々としたが、僕の生活に変わりはなかった。相変わらず、研究室に入りびたっていた。入院費は無料だったし、車椅子も、国の補助で作ってもらえた。体の不自由は治る見込みはなかったが、命に別状はなかった。公務員だったおかげで、生活は安定していたし、何より病院にいれば安心だ、という気持ちがあった。
 親爺が危篤だと聞いたのは、大学院2年の残暑厳しい、昼さがりだった。研究室に1本の電話が鳴り響いた。ひょいと立ち上がろうとした拍子に、脳溢血をおこしたらしい。しばらく昏睡状態が続いたが、家族みんなに、みとられて、やがて静かに病院のベッドで、息を引きとった。
 おふくろから、一冊の大学ノートを見せられた。愕然として立ちすくんだ。そこには、ミミズのはうような字で、「オッカァあいしてる。」と書かれていた。不自由な手で、「お前のおかげで、しあわせだった。」と書かれていた。親爺は、弱気な所なんて家族に、一度も見せたことはなかったし、それは病気になってからも、変わりはなかった。親爺の記憶といえば、怒鳴られた覚えしかない。それは、おふくろも同じことだろう。
 でも、一体親爺は、どんな気持ちで、夜病院のベッドで、一人すごしていたのだろう。今まで思いもよらなかった考えが、心に染みついた。
 よく見舞いに来いと、親爺から電話がかかってきた。行くとすぐ帰れと言う。正月位は家で過ごすと言っておきながら、元旦には、もう病院に帰ると言う。そんな親爺に、内心腹を立てたりもした。でも、親爺の本当の気持ちはどうだったのだろう。
 本当は、家族とずうっと、一緒にいたかったんじゃないか。見舞いにきて、ずうっとそばに、いてほしかったんじゃないか。だからこっそり、「しあわせだった。」なんて書いたりしたんじゃないか。僕の顔を見て、はやく帰れって言いながら、心の底では、「また来てくれよな。」て叫んでいたのではないか。ただ、子供達に迷惑をかけたくない。面倒をかけたくない。世話をかけたくない。そんな気持ちで、精一杯意地を張っていたんじゃないか。
 生活に変わりはないから。命に別状はないんだし、どうせ治らないんだから。何より病院にいるんだし、それに勉強もいそがしい。だからといって、自分はあまりに変らなすぎた。あまりに平静すぎた。親爺は病気なんだという事を、もっと真剣に考えてやるべきだった。寂しいから、車椅子であっちこっち動き回り、一人ぼっちだから、自分で何でもやろうとして、立ちあがって、そして…。親爺の本当の気持ちは、わからなくても、どんな気持ちでいるんだろうって考えていたら、親爺はもっと、長生きしたんじゃないか。そんな、もやもやした気持ちを持ったまま、僕は追われるように就職した。今まであたり前だと考えていた。いや考えもしなかった、家計の支えを失なったからである。

 最近、老人のボケの問題がよく話題にのぼる。一人暮らしで、何でも自分でやる人はボケないのだそうだ。その人に、嫁さん夫婦となぜ一緒に暮らさないんですか。と聞くと、「迷惑をかけたくないから。」という答えが返ってくる。ボケないにこしたことはないが、何となく寂しい気がする。ヨーロッパには、すばらしい老人ホームがあるそうである。「お世話ホーム」と言って、専門的訓練を受けたホームヘルパーの人が、いたれりつくせりの世話をしてくれるらしい。最近日本でも、モデルケースとして、老人専用の公共マンションが、神戸に建設されたそうだ。恵まれた設備に環境、24時間の健康監視体制。さぞお年寄りは幸せだろう。
 でも、でも、である。老人にとって、病気になった老人にとって、本当に必要なものは、最新鋭の医療設備と、充実したスタッフなのだろうか。次代を担う若者が病気と戦い、必死に生きている様は、感動する。しかし、老人が自分の寿命に、必死に抵抗している様は、むしろ哀れである。だから、「老人医療なんていらない!!」必要なのは、家族の温かい手である。それだけである。
 いわゆる末期癌患者を対象とする、ターミナルケアでは、cureよりもcareであると言われる。余命数ヶ月という患者が、最期の命のともし火を、精一杯輝かせてともせるように、家族も医師も、チームワークで全力を尽くすという。しかし、3ヶ月の命とわかっていれば、それは幸せである。医師も家族も、そして患者も、スケジュールを決めて、全力を尽くすことができるからである。一番悲惨なのは、いつ治るでもなく、そしていつ死ぬでもなくただ病院に入れられている老人である。更年期障害や痴呆症といった、いわゆる老人病は、治療が困難である。それは、こうした疾病が、「老人である」という事に、起因しているからである。従って悪化することはあっても、なかなか治らない。しかし致命傷ではないし、環境も栄養も行き届いているため、長生きはする。いかんせん、医師の関心も、家族の関心すらも薄らいでいくことになる。むしろ、段々冷淡になっていく、と言ってもよいかもしれない。次第に、患者の存在を忘れ、患者が人間であることを忘れ、医師は機械的に投薬し、血圧を測り、異常なしとする。家族も毎日の生活で忙しいし、異常がなければ、わざわざ足しげく病院に、足を運ぶことはしなくなる。何より、病院に入れておけば安心である。だから、患者の寂しさや不安、そして時には、死の恐怖をいだいていることすら、気がつきもしない。患者も、病気が長引いている、ということの気がねから、家族に負担をかけまいとし、つとめて平静を装う。そして、突然のように、死がおとずれて…。

 「老人医療なんて、いらないって?」「必要なのは、家族の愛だって?」「家族のいない、身寄りのない老人はどうするんだ!」「医者にかかりたくっても、保険証も発行してもらえない老人はどうするんだ!」「甘っちょろいことをいうな!お前の言っていることは、何一つ問題の解決になっていないじゃないか。何も知らないくせに…。」あなたの言葉が聞こえてきます。そう、僕は何も知らない。寂しいことに、何も知らないんです。確かに、僕の言うことは、制度的には何の解決にもならないし、何の具体性もないかもしれない。でも、車の事故だって、保険制度ではなくて、「ごめんなさい。」の一言が、問題を解決してくれることが、あるんです。
 あなたは、老人の気持ちを本当に考えたことがありますか。病気の老人がどうしてほしいか、あなたにはわかりますか。
 ご免なさい。「わかるだろう?」なんて思わないで下さい。わからないんです。僕には。あなたが寂しいことが。不安でいることが、わからないんです、。だから本当の気持ちを、聞かせて下さい。だから、遠慮しないで言って下さい。「寂しい。」「怖い。」って。そう遠慮なく言われる人間になりたい。そう遠慮なく言える社会にしたい。少しでもあなたの気持ちがわかる人間になりたい。わかりあえる社会にしたい。

 就職して、5年たった。結婚し子供が生まれた。不安だった。五体満足で生まれてくれればよい、そう祈った。長女の誕生が、6年前の親爺の死と重なった。5年前の、もやもやした気持ちが突然ふっ切れた。生きるとは、どういうことなのか。死ぬとは、どういうことなのか。少しでもあなたのことがわかるように。少しでも、本当のことがわかるように。僕は医者になります。
 平成元年春、そっと辞表を提出した。


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