高齢化社会の医療
A.F.M. サイフル・アラム(北海道大学大学院医学研究科)
私が日本へ医学の勉強をしにきてから、早くも3年以上もたちました。その間、ただ学問を学ぶだけでなく、社会や文化についてもよく理解することができ、次第に日本についての意見も持てるようになってきました。言うまでもなく日本は、政治、経済、テクノロジーの分野で世界のトップに立つ先進国の1つになりました。日本の経済的技術的発展は国民生活をめざましいほど豊かなものにし、ハイレベルな教育のおかげで知識と能力が伸び、医学も高度の進歩をし、その結果、日本では、世界の国の中で一番早いスピードで高齢化がすすんでいます。平均寿命が男性では76歳、女性では81歳と発表されています。高齢化が少しずつ進んだのであれば、私達は無理なく受け止めることができるでしょう。しかし、あまりにも短い期間に高齢化が進むと、それに伴って起きるいろいろな社会問題に対して、よい案がなかなか見つからないのです。急速な高齢化社会の出現は、政治の面でも経済の面でも支障をきたすでしょう。家庭においても困難な問題が多くなるでしょう。しかし、社会や家庭がこの問題にふれないで通りすぎることはできないのです。私は日本へ来てから、勉強のためにいくつか老人病院を訪問し、患者さんから多くの事を学び、最近は、自分の老いについてよく考えるようになりました。すべての人間にやってくる老いの中身をより充実したものにするにはどうすれば良いのか私の考えを述べてみたいと思います。
日本では21世紀初めには、4人に1人が、老人ということになります。そして今、世界の長寿国、スウェーデン、西ドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国より、はるかに短い期間で、高齢化が進んでいるのです。第二次世界大戦で負けてから、日本は常にアメリカを始め、世界各国のモデルケースを求めて、国の勤勉さと努力の結果世界的な工業国として素晴らしい経済成長をとげてきました。しかし、高齢化社会に入りつつある今、日本にはこれの模範となる国はありません。これまでに経験したことのない社会の変化をむかえるのです。このような出来事は、経済力が強大になった日本に与えられた最も大きな課題だと思うのです。私達が抱いている老人のイメージは、今までの工業社会における働き盛りが作ったものといえるのです。経済思想を中心とした考え方が、老人の個性をなくし、老人は皆、同じ考え方をするものと考えていたのです。しかし、この様な考え方は変えていかなければなりません。高齢化社会に入る日本の将来や、21世紀には、私達はどのように変わっていくのかといったことに私は強く興味をもつようになりました。私達は健康とは何かを考える必要があります。医学では、血圧とか、脈はくを始め、いろいろな検査があります。ある数が決められ、その範囲を出ると、異常、すなわち病気と診断されます。しかしこの基準では、65歳頃になれば、ほとんどの人が病気ということになってしまうのです。成人病を始めとする老化現象はシビアーにいえば治らないといえます。たとえば心臓病の人は、どんなに治療をうけても10代と同じ心臓には、戻れないのです。せいぜい悪くなるのをふせぐだけなのです。35歳あたりをすぎると、多少弱いところがあるのが、普通なのです。自分の健康状態をしっかり把握して、なるべく自分を健康な状態にしておくことが大切だと思います。少なくとも40歳をすぎたら、毎年健康診断を受けるべきだと思います。私達の健康にとって最も大切な事は、自分をじっとみつめ、環境との調和を考えることだと思います。病気をなおす力は自分自身のうちにあるという、二千年前のギリシャのヒポクラテスの言葉は今も生きているのです。医学は私達が信じられない位のスピードで進歩しています。最近の科学技術の進歩によって、科学の力で病気は治ると、錯覚されはじめてきてはいないでしょうか。医学は人間のメカニズムのすべてを解いたわけではないし、それほどの段階には、はいっていないのではないでしょうか。医療は人間のもっている自然治癒力を助けながら進んでいくべきだと思うのです。さて、老人の数が急にふえることは、成人病への対策が遅れることになります。ヨーロッパでは、古くから老人専門病院のようなものはつくられているし、老人病学者も多いときいています。しかし、日本では少しの学者しかいなかったので、日本の老人医療は立ち遅れていたといえます。また、老人医療にはもう一つの面があると思います。それは、老人というものを医療のうえで、どうとらえていくか、ということです。人間は老人になれば血圧も上がるし、心臓だって弱くなるし、ときには脳が弱ってしまうのです。もちろん、これには個人差があります。しかし、今の医療は若い健康な時のデータを用いてそれをあてはめているので、すべての老人は病人ということになってしまい、薬を与えるのです。病院にやってくる老人にはすべてどこかに異常があります。したがって老人医療にとってもっとも大切なことは、老人の健康のスタンダードを決めることだと思います。老人の健康は個人差が大きいので簡単に決めることはできないと思いますが、現在の30代の前半を対象とした健康基準では老人医療は成り立たない気がします。今のような形では、薬による副作用のほうが恐ろしい場合もあるのです。体の働きが低下している老人の場合は、副作用がより強くあらわれるからです。このことは出来るだけ早く実行に移すべきでしょう。
そしてもう1つ老人医療の問題で重要なことは、寝たきり老人をどうするかということです。政府はこのことに真剣に取り組んでほしいのです。私達に安心感を与えてほしいのです。寝たきりになるかどうかは別にしても、仮にそうなった場合でも、なんとかしてもらえるという安心感があるのとないのとでは、大変な違いなのです。一家に一人寝たきり老人がいると、家庭はメチャクチャになると言われています。それでボランティアの組織のようなものを作ったらどうかと思うのです。ボランティアというのは、困っている人を助けてあげたいという気持ちでやる人もあるし、それは理想だと思いますが、現実的に考えて、介護サービスに行った人には、お金の変わりに切符をだし、そして将来自分が寝たきりになった時にその切符を使えるようにすればいいと思います。この方法は寝たきり老人を持つ家庭の苦労を少しでも少なくするために、急いで実行してほしいのです。
今、日本では老人を対象とした病院をつくれば必ずもうかるといわれています。日本の病院のもっとも大きな欠点は、医療にたずさわる人の数が少ないということです。そのために1つのベッドに対する従業員が0.8人しかいないのです。その理由は医療従業員が足りないために、楽な仕事の病院に入ってしまい、最初の1週間とか、10日とかいう、むづかしい時に手が足りないということになってしまうのです。ベッドの数はたくさんあるのにいつもベッド不足だと日本人は思っているのです。これを解消するためには早く治療して、早く退院させればいいのです。現在の入院日数を半分に短くすれば差額などの問題も少なくなるのです。希望する人は入ってもいいと思うのですが、すべてそのような病院になったら困るのです。また、付き添い看護というものはナンセンスで、看護婦の数をもう少しふやせば付き添い看護はやめさせることができるのです。一番評判が悪いのは、付き添い看護と、差額の部屋しか空いていないということです。これでは皆、日本の医療のあり方に不信感をもつのはあたりまえだと思うのです。このことを改めることに政府は全力を出してほしいのです。この問題を解決しておかないと、多くの老人はお金をもっていないので、より深刻な状態におかれるのです。さらに不公平をなくすことです。政府に圧力をかけられる団体にいるとうまくいくが、そのような組織などがない人はバカをみるといったようなことがないようにしてほしいものです。また、今問題になっていることですが、老人病院でも病院だけが独立しているところでは、その病院に入院した患者は結果として死ぬまでそこに入院しているようなことになりやすいのです。成人病自体が、老化現象であるため、若い時のように回復することがないので、少しでもよくなれば病院側は退院させようとしますが、入院した患者の家庭が引き取ろうとしない傾向が強くなってきています。これは医療の面で大きな障害になってきているのです。老人は寝かせておく期間が長いほど、社会復帰が遅れるのです。脳卒中で倒れたら、その場を動かすなという誤った医学情報によって、寝たきり老人の数がぐんとふえたのです。家庭が老人を引き取らない場合、老人は病院にいつくようになります。体がだんだんと老化していった場合、寝ついていると体の機能はぐんぐん衰え、病気の方は多少回復しても、再び起き上がれなくなり、それで寝たきりになってしまうことがあるのです。このことは現在のように老人の数がふえ、やや老人を邪魔者扱いにする風潮が強まっている時、老人施設の中に病院から退院した老人を収容できる施設を持っていない限り、老人病院をつくっても老人を寝たきりにしてしまうだけの意味しかないのです。もう少し高齢化社会の医療ということを深く考えていかなければならないと思います。高齢化社会が将来日本の社会全体を大きく圧迫してくるのは確かなのですから。「月給の3分の1位を税金に取られ、老人のために働いているのですか。」といった問題が若い人の間から必ず出てくるでしょう。老人問題を考える場合に重要なことは私達は皆、必ず将来年をとるということです。老人医療で私が強く言いたいことは、動けるうちは、動ける方法を何としても考えて、どうしても動けなくなった時に病院に入れるということです。そしてまた老人の方にも強く生きてもらうということです。老化というものはどういうものかをしっかり理解しなければならないのです。何もすることがなく退屈な毎日をすごすことは、老化現象への道を急いでいることなのです。本を読んだり、文章を書いたり、絵をかいたり、自分の好きな知的な活動を続けることです。自分がやりたいことに積極的にぶつかり、心の喜びを見出してほしいのです。世界中を見ても、日本人ほど医者にかかり、健康に関する本を読む国民は少ないと思います。スウェーデンの10倍は医療にかかっていると聞きます。もし本当にそれだけ病人が多いとしたら、日本人の寿命も経済発展も実現できるはずはないのです。医者にかかってもかからなくてもいい人が、かかっているといえるのではないでしょうか。いたずらに病気のことを心配するよりも、年1回の健康チェックをうけたら、あまり病気のことは考えずに、前向きに生きるのが望ましいと考えます。すべての人がそれなりに役割をもって生きられる社会を作ることが高齢化社会が持っている問題を解くことになると思います。私達の今までのライフスタイルを考えなおす必要もでてくるでしょう。女性の生き方も見直さなければなりません。最近の女性の活発な生き方や、家庭の主婦の老人介護なども、もっと検討してみる必要があるのではないででしょうか。子供の生き方や、社会のかたすみにあるさまざまな人々や、病気や、痴呆の人、障害者の人達との役割も真剣に考えていく必要があると思います。金持ちの人達は貧しい人達を助け、健康な者は病気の人を支えてやりたい。21世紀の高齢化社会の望ましい形を考えていくと、最後は人間の心の問題と他人への思いやりにいきつくのではないでしょうか。最近私が感じることですが現在の70代、80代の健康な老人には人にたよる人があまりみられません。はつらつとしていて好奇心も旺盛です。これから高齢化社会をむかえる人達は、現在の高齢者より発想や生活感覚が大きく変化しているはずです。現在の常識でははかりしれない高齢者が占める社会になるでしょう。現在と同じような老人観では合わなくなり、高齢化社会の受け止め方も違ってくると思います。過去の暗い老人観に代わる個性的でしなやかな新しい老人観がでてくると思うのです。私達は今、高度のテクノロジーで囲まれた高度情報化社会におります。私はこの情報産業をうまく利用することによって老人医療費を少なくできるのではないかと思うのです。いろいろな医療情報や事務の処理をオンライン化、スピード化することによって各種の老人医療の情報や、個人の情報の効率化を図ることが可能になると思います。病院と患者間の医療のデータやチャートの交換をはかり、余分な検査や薬を与えることがなくなるでしょう。診断もより早く正確になり、治療も要領をえることになりますので、結果的には医療にかかるお金を減らすことになるのです。また医療技術の発達はそれだけいろいろな慢性疾患、成人病の予防の進歩に役立つのです。医療技術の進歩は高齢者の機能維持増強にもつながり医療費を少なくすることができるのです。
このように将来の老人医療は、高度な情報化システムを使い、医療全体のコストを減らし技術の進歩によって医療費のコストを減らし、ボランティアシステムなどによる個人の労働力負担により医療コストを減らすこと。このような面で改められていくべきだと思います。各方面で高齢化社会の色々な改革が行なわれ、新しい社会システムと経済基盤が確保され、高齢化社会の医療問題も、よりよい方向に向かっていくことを希望しています。