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理工系学生のメーカー離れについて

川上 高(東京大学大学院工学系研究科)

 

 現代社会は、コンピューターの発展とともに、かつてない速度で変化している。情報量の圧倒的な増加が、社会を変えている。最近、問題となっている理工系学生のメーカー離れは、この劇的な社会の変化に起因しているのではないか。この論文では、理工系学生のメーカー離れという現象を通して、情報化社会の持つ意味を明らかにしていく。

現象
 この問題を論ずる前に、まず簡単にこの現象を把握する。資料を見ると次のような事が解る。
(1)金融、証券の伸び方が著しい。
(2)素材に近いメーカーが落ち込んでいる。
(3)電気・電子はあまり変化していない。
 つまり、理工系学生のメーカー離れとは、素材メーカーから金融、証券へのシフトとみることが出来る。

原因
 では、なぜ金融、証券へのシフトが起こったのだろうか。
 ロンドンのシティのビッグ・バン、東証の電算機化などを見れば解るように、ここ数年の証券界、金融界は急激に電算機化された。マスの効率的管理がすぐに莫大な利潤を引き出すこれらの業界にあっては当然であるが、この変化は深刻なSE不足を生み出した。SEを探し求め金融、証券は、理工系の学生の求人に大きな力を注いだ。高賃金に惹かれた学生が大量にこれらの業界に流れた。
 メーカー離れの原因を簡単に論じればこの様な流れになると思われる。しかし、今回のこのシフトは、金融証券の急激なネットワーク化に伴う一時的な現象ではない。単なるSE不足以上の物をはらんでいると思われる。

イメージ
 ここで、企業のイメージについて考えてみる。ひと昔前の文系のイメージと言えば、汗水たらして営業というものであった。安い靴をすり減らして、赤提灯というパターンはサラリーマンの典型にまでなっている。
 一方、技術者は、工場で徹夜して油まみれになって、という文系と同じようにさえないイメージである。
 しかし、社会の情報化に伴い近年、文系企業において、このイメージに変化が生じた。最近人気を集めている職種に例えばディーラーがある。
 証券業界における、コンピューターネットワークの発展は、あらゆる情報をコンピューターのディスプレイから読み取り、即座に情報を加工、処理する人間、ディーラーを生み出した。ディーラーは情報の取り扱いのスマートさにより、文系企業の最先端の職種となった。ディーラーの人気は、なによりもスマートなイメージによるところが大きいとみられる。このスマートさは、コンピューターを使用して、情報を処理するところから生まれている。では、なぜコンピューターによってこの様なスマートさが生まれるのだろうか。
 簡単にいえば、コンピューターは赤提灯から最も遠いところにあるからである。文系の仕事は、従来まず第一に人間同士のコミュニケートによって行われている。そのため、見た目の良さ、人当たりの良さ、といった実際の事務能力には関係のない部分が重要視され、また、赤提灯や銀座の接待のような酒の席が、仕事の一部分として大きな意味を持っていた。しかし、ディーラーの仕事は人対人のコミュニケーションを土台にしていないために、接待などのいわば泥臭い仕事を必要とされない。その代わりに、ディーラーは純粋な意味での事務的な仕事能力のみにおいて評価される。ディーラーは、それだけ他の職種よりもその面で高い能力を必要とされる。そのために、ディーラーは真のエリートとして、高い尊敬を受けるのである。
 このような純粋の仕事と人間関係との分離は、ディーラーだけでなくあらゆる職種で、仕事の専門化、複雑化とともに進んでいる。
 文系業界は、コンピューターによって高効率化のみならず、仕事における泥臭い部分の切捨てにも成功したと言える。
 対するメーカーはどうだろうか。工場は相変わらず油臭いところである。研究所は、非常に最先端の設備を整えてはいるが、なぜか、暗いイメージを受ける。なぜ暗いイメージを受けるかは後で述べるが、メーカーの方には、文系企業にみられるような人間関係主体の構造が見られないので、結局いま述べたような仕事と人間関係の分離も見られず、イメージをよくするためには至っていない。
 ここに、理系企業と文系企業の、コンピュータ導入に伴う違いを明らかにした。さらに深い問題を論じる前に、一度コンピュータの事を論じる。

コンピュータ
 コンピュータまたは情報処理機械の発達は社会を変化させたが、コンピュータの持つどのような特質がこの変化をもたらしたのであろうか。
 従来の文系の仕事を考えてみる。例えば、契約を一つ取るためには、まず相手とのコミュニケートが必要である。話が下手なセールスマンはいくらいい製品を持っていてもいい成績は挙げられない。また、粗悪な製品を持つメーカーも、優秀な営業を持てば、高い売上を得ることが出来る。つまり、例えば製品の販売一つをとっても人対人のコミュニケーションが最も大切なのである。この土台があって初めて製品の性能が吟味されるので、例えば営業の弱いメーカーは戦う前に既に敗れているといっても過言ではない。どんなに優れた製品も、辣腕のセールスマンにはかなわないのである。
 さて、コンピュータにより、高度に情報化した社会においては、どの様な事態が起こるのであろうか。先ほどのセールスマンの例で言えば、物を買う人は、様々なメディアでたくさんの情報を見比べ、種々の条件を考慮にいれて、一つの商品を決定することが出来る。消費者は、どんな国のどんなに小さなメーカーの製品でも、情報が届く限り手にいれることが出来る。また、一つの製品に関する情報をいろいろなメディアから得ることが出来るので、セールスマンの口だけが情報源だった時代にくらべ、商品に対しはるかに正確な判断が下せるようになってくる。総合的な製品の質がすべてであり、人対人のコミュニケーションの占める比率はほとんどないといってよい。
 この様に、コンピュータは、人対人のコミュニケーションが社会に対して持つ意味を、減少させる意味を持つ。
 ものの持つ意味、情報を符号化し、デジタルなメディアにのせることによりコンピュータは、情報の可搬性を飛躍的に高めた。その結果、人は、人対人のコミュニケーション無しに、情報を得ることが可能となったのである。

メーカー離れの構造
 同じ事が、ディーラーの項で述べた文系の仕事の変質にも現れている。文系の仕事は、人づきあいを基にしている。そのため、文系の人間には、ある一つの技術に秀でた人間よりも、オールラウンドな人間性が求められた。しかし、情報化社会への移行に伴い、文系の仕事もまただんだんと専門化し、専門化した人間を必要とするようになった。人対人のコミュニケーションになんらかの欠陥を持っていても、専門的な優れた知識を持つ人間が重用されるようになり、それにともなって彼らが働きやすい環境がだんだんと整ってきているのである。
 以上のように社会の情報化に伴う文系企業の変質により、理系学生と文系企業は結びつきを深めた。文系企業にとってSEをこなせる理系学生は何より必要であったし、コンピュータネットワークによる経済の複雑化は理系のセンスを持ったアナリストを必要としたし、理系的な人間にとって、つまり人対人のコミュニケーションに少々苦手意識を持つ人間にとって働きやすい環境が準備された。理系学生にとっては、メーカーでは望めないような給与はまず魅力的であったし、社会を動かすようなビジネスに参加できるというのも大きな魅力であった。この様に、相互に歩み寄った結果が、理系学生の文系企業へのシフトの原因である。

メーカー離れ問題への対策
 以上のような理由によって理系の優秀な技術者の文系へのシフトはこれからも続くと思われる。この流れを押しとどめるために、いま、メーカーには何が求められているのか。 メーカー離れに頭を悩ませている理工系の教授も多い。教授たちはかつてない事態にうろたえている。一般的に、教授たちは、学生たちのプライドに訴えかける傾向がある。
 「今の日本の繁栄があるのは、君達の先輩の素晴らしい技術者たちが汗水たらして働いたからだ。君達がやらなければ日本は駄目になってしまう。」
 教授達は、
 「戦後の焼け野原をどうにかしたい。」
 と思って働いてきた世代である。彼らが技術者として働くことは、ビジネスというよりは、宗教的な使命感によるものではなかったか。彼らは、サラリーマンというよりはむしろ、日本復興の崇高なる任務についた兵士たちであった。
 この様な呼掛けが、果たして幼い頃から日本の繁栄を当然のように受け取っている今の学生を変えることが出来るのか。学生の気持ちは以下のようなものではないのか。
 「確かに、今の日本の繁栄があるのはそのような無数の技術者たちの貢献によるものだが、その結果、今の技術者の手にいれた物は何だろうか。彼らは銀行の半分の給料しかもらっていない。確かに、今のようなメーカー離れの状況が続けば、日本が駄目になってしまうかも知れない。しかし、なぜ理工系の学生だけが、たまたま理工系の学部に入ったからといって捨石になって安い給料で働かなければならないのか。教授たちが技術者の卵としての学生のプライドに訴えかけたのはある意味では正解である。もちろん、技術者にはプライドがなくてはならない。しかし、戦後の日本の繁栄を築いた技術者たちの崇高なる使命感を今の学生に求めるのは不可能である。」
 いま、世界一の経済大国となった日本に生まれた人間にこの種の心情面から語るのはいささか的外れであると言わざるを得ない。
 たしかに崇高なる使命感で働いてきた人間にとって、給料が安いと言うだけで技術者としての自分を捨てて金融や証券に就職する人間を見るのは耐えがたい事かも知れないが、金が物をいう今の日本において、プライドを持ちながら低賃金で働くのは大変に難しいことである。プライドを持つためには、その仕事がたいへん重要なものである、そして自分の働きは正当に評価されている、と信じられるほどの報酬を得る事が必要だ。
 賃金アップなくしては、このメーカー離れの傾向が変わることはないと思われる。
 技術者の賃金を引き下げている原因ははっきりしている。日本に独特の終身雇用制である。日本の多くのメーカーはこの終身雇用制の基に一種の年功序列型の給与体系を採用して、いわゆる家族型経営をしている。家族である社員は、皆で会社のために努力し、会社が得た報酬は、ある程度平等に各々に分けられる。しかし、一般に、一人の優秀な技術者は何人分もの働きをする。このような性質を持つ仕事にこの様な給与体系はマッチしない。素晴らしい才能はそれに見合った報酬で評価されるべきである。また、アメリカのコンピュータ業界では多くのカリスマ的な人気を誇る技術者がいるのに、日本には皆無である、という状況を見れば解るように、この国では優秀な技術者は、正当な評価をされていない。
 技術者としての道を選んだ学生もこの事実に気づきつつあり、彼らは大企業避け、シンクタンクやベンチャー、あるいは外資系の企業へ進路を決定している。
 ある外人の野球選手が、契約更改で、球団提示額を蹴った際の言葉が印象的である。
 「これは金じゃない。プライドの問題だ。」日本人もそろそろこの心情を理解するべき時期にきている。優秀な技術者に銀行の半分の給料、これでは、技術者としての誇りが持てないのも当然であり、また、残業をして手当をもらおうというような、貧しい発想が生まれるのである。
 メーカーにいま第一に求められるのは、徹底的な能力給、あるいは、戦後の日本の復興のために働く事に匹敵するような、技術者に誇りを与えるような仕事である。

結論
 この論文では、おもに二つの事について論じた。一つは社会の情報化による文系の仕事の変質。一つは技術者とプライドの問題である。この二つは全く違う問題であり、それぞれに深い問題を含んでいる。一つの文章の中で取り扱う事がよいかどうかはあまり解らないが、この文章では、理系学生のメーカー離れという問題を通して、個人的にいままで考えてきた二つの問題を論じた。最後に結論を述べる。
 理系学生のメーカー離れの原因は、表面的には文系企業のSE不足、内面的には、社会の高度情報化に伴う文系の仕事の変質と多様化によるものであり、学生の動機としては一番に給料の差である。この傾向を改めるには、技術者として生き、仕事をすることの喜びを見いだせるような環境を作ることが必要である。それは、技術者としてのプライドを持つという意味であり、その意味においても能力給の導入を背景とした給料アップが必要である。

《参考文献・資料》

●「理工系東大生の就職先一覧」講談社 Quark 12月号


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