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理工系学生のメーカー離れ
夢をなくした者たち(意志をもった21世紀のために)

石井 徹弥(東京工業大学大学院理工学研究科)

 

 自分は学部生のころ、ヨット部に所属していた。同じ水の上のスポーツという事でボート部の人間ともよく話しをしたものだが、この2つの船には大きな違いがある。それは風の力を利用して前に進むか、自らの手で前に進むかの違いである。最近の我が東工大ヨット部員の就職状況をみているとヨットは教育上良くないスポーツであるといわざるを得ない。何故か。ヨットは風がある海面のほうが当然速く進む。レースに勝つためにはそういった所に行くのが常道である。このレーステクニックを自分の就職(または人生)にも適用してしまうのである。今伸びている海面(産業)に生きたがる。ボートのように自らの手で船を進ませ、目標に向かおうとしない。風に乗っただけで安心してしまう。そして、時には目標をも失ってしまうのである。
 脱工業化社会、ハードからソフトへ など様々な声がとぶ。情報の収集力は新人類の得意業らしくこれらを全て頭の中に入れる。そして今、あるいはこれから伸びようとする産業に就職する。どうしてこうもいとも簡単に人の言葉に左右されてしまうのか。答えは唯一つ、夢そしてそれに対する強い意志を持たないためである。中村雄二郎の言葉に次がある。
『意志をもたない集団はなによりも過度の刺激によって動かされる。そして集団に働きかけようとする者は自己の論拠を理論的に組み立てる必要はなく強烈なイメージを用いて描写し、いつでも同じ事を繰り返せばいいのである。』
ここで言う集団とは即ち最近の理科系学生といえる。自分の作りたいものがない、夢がない、そしてそれに伴う意志を持たないがゆえにこれからはサービスや情報の時代といった同じような言葉の繰り返しにより心を動かされているのである。それはまるで潮の流れのままに動くクラゲのようである。
 しかし、そのクラゲを大量発生させたものもあるのではないか。
第一に大学が考えられる。自分の所属する東京工業大学化学工学科はその学生の非製造業高指向性で雑誌に名指しで取り上げられたことがある。工学部の悲しい性であろう教授は何かにつけて生産性に結びつける。学問の本質を問わず金儲けの仕方を教えようとする。そういう人間が製造業にすすめといったらむしろ反発してしまうのではないか。しかも彼等が製造業を薦める理由はこうである。
『君の先輩がいっぱいいるからかわいがってもらえるよ』
卑怯きわまりない。自分が人事だったらこんな理由できた学生は絶対に採らない。最近の教授はこのようにあまりに現実的であるがゆえ流行に弱くそれに左右され自分独自の理論、研究をもたないし誇りをももたない。とりわけ工学部の先生は自ら白衣を着て実験をするものが少ない。事務に忙しく会議ばかり開く。当然学生の心は彼等から離れていく。時代遅れでもいい、その人なりのオリジナルにとんだ研究をしたほうが学生は心を打たれるのである。この人の言うことを信じようとする。ついていこうとする。製造業にいって私の研究を生かせとと言われればそうするであろう。自分に誇りを持っていない人は、人を動かすことができない。
 あまりにも工学部の教授は現実的過ぎるのである。新聞を読まない方がいい、むしろ堅物のほうがい。我々学生に夢を与える研究をしてほしい。そうすれば出席をとらなくても学生は授業に出るだろうし、夢を実現させるべく製造業に進むだろう。
 ところで、今わが校では定員が増えつつある。それと同時に留学生も増えている。春休みの食堂は日本語が聞かれないくらいだ。理科系学生の製造業離れは、アメリカでは実は10年位前から始まっているという。その対応策としてアメリカでは理科系大学の定員を増やした。だが皮肉なことにアメリカ以外の国から来た学生が増えただけで、なおかつどこの大学でも首席は皆中国人などの外国人だそうだ。そして彼等がそのままアメリカに残ってくれるのなら問題は少ない。だが彼等は当然学んだ事をいかそうと自国に帰る。技術者の空洞化である。それにアメリカは多国籍人種の国であるからまだいい。単一民族の日本では、彼等外国人技術者が日本に残ったところでどう対応してよいかまったく未解決ではないか。無論彼等を追い出そうといっているのではない。むしろ歓迎である。日本人の国際化にもつながる。ただ彼等に負けないような技術者をつくりあげることが必要なのである。
 大学の責任はこうまでも大きい。大学独自の研究体制を作りあげ魅力を持って学生をひきつけるべきだ。しかし実際は大学では現実的な教育そして金儲けの仕方を教える。学生も金がすべてだと思い始める。夢をなくした現実を見つめたとき、給料が高く、また東京にいられる会社がいいといった会社選びを始めてしまう。
 次に製造業側にも問題があるといえる。ある人がロールスロイス社の人間にどうして大衆車を作らないのか、あのフライングエンジェルをつけた車なら絶対に売れると訴えたところ、いかにも日本人らしい意見だということで笑い飛ばされそれ以上話が進まなかったそうである。日本の企業は金儲けが先にたち、こだわりや誇りといったものを持たない。イギリス人に限らずドイツ人もまた誇り高い国民である。彼等は日本と同じく戦後生産第一主義を掲げ奇跡の復興をとげ、日本人には馴染みの深い国といえるが、とにかく彼等は自分らの技術に誇りを持っている。驚くまでの自信である。カメラに保証書が付いていなかったのでどうしたのかと聞くと我が社のカメラは優秀ですからこわれません、だから保証書などいりませんと平然と答えたそうである。これは極端な例としても、日本の製造業に今必要なのは自社の作った物に対する誇りおよび自信であるといえはしまいか。その自信が学生を引き付ける原動力になると思えてならない。
 また次のようなこともある。自分の友人で、製造業か非製造業どちらに就職すべきかで悩んでいたものがいた。彼は両方の人事の人とコンタクトをとり そこで彼が感じたことは次である。即ち、製造業の人は自分をまるでロボットかコンピュータのように扱うというのである。共通一次の点はいくつだったか、大学での成績は上から何番目くらいだったかそんな質問ばかり浴びせられたそうだ。その点非製造業の人は成績などよりも自分自身を知ろうとしてくれた。人間としての自分を求めていたというのである。結果彼は銀行へいった。これは紛れもない事実である。研究熱心だった彼が製造業に進まなかったのは非常に残念に思え、また説得の余地がなかった。製造業の人間もまたあまりに現実的なのである。『君には夢があるか何か作りたいものはあるか。』 そういった質問のほうがよっぽど大切な気がするし、またその会社に利益をもたらすと思えてならない。製造業の人間は物の事は分かるが、人の心の事は分からないということになる。オトコ型社会からオンナ型社会になってきているといわれるが、これだけ価値観が多様化してきている日本で人の心が分からないと話にならない。人の心を打つ物作りを目指せば自然と学生も集まってくるのではないか。
 以上から学生を非製造業へと誘っているのは、学生自身が夢を無くしたこと、そして大学が夢のある研究を学生に提供しないこと、および製造業自体も物に誇りをもたず人の心を大切にしていないことが挙げられる。そしてこれらをふまえいま日本人に一番欠けている『未来に対する強い意志』が実はこの悲劇の最も大きな原因であるといえる。ある人がドイツ人にこう尋ねた。
「21世紀ドイツはどうなるでしょうね」
すると相手は
「どうなるかではない!どうするかだ」
と怒ったように答えたそうである。日本人は予想好きの国民である。21世紀はこうなる?といった類の本をよくみかける。とりわけ悲観的なものが多い。石油がなくなる。株が大暴落する。そういったものばかりである。石油がなくなるのならそれにかわるものを作ればいいではないか。哲学者アランが『幸福論』のなかでこう述べている。
『悲観は気分に属し、楽観は意志に属す』
そう、一番大切なのは意志である。今日本社会全体にこれが不足している。製造業に対して、悲観的な意見ばかりだすから夢を持たない学生は離れていく。
 物が無ければ未来はない。それにより輝かしい文化、未来を築こうという強い意志を持つべきだ。そうすれば自ずと楽観視できる。そしてその意志はなにものも動かすことができないのである。
 自分は中学生ぐらいから人のためになる仕事がしたいと思っていた。自分の力で人の命が救えたら、そう思っていた。この意志は自分を理科系の大学へと進ませ、そして脱工業化の声に惑わされず自分を製造業へと向かわせた。確かにアジアの他諸国の追い上げなど製造業の立場は危ういかもしれない。だが、そういった向かい風が強くなったら思い切って帆を降ろせばいい。そして自らの手で船を前に進ませれば良いのである。目標に対する強い意志と共に。

《参考文献・資料》

●『哲学入門』         中村雄二郎    中公新書
●『柔らかい個人主義の誕生』  山崎正和     中公文庫
●『第三の波』         A.トフラー   中公文庫
●『ドイツ的発想と日本的発想』 小塩節      三修社
●『AERA(アエラ)』  No17 4.25 朝日新聞社


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