セックスレスと二十九歳の本音
セックスレス~今あらためて男女関係をどう考えますか?~
前田 あゆみ
常日頃不摂生な生活を送っているわたしにも、月毎に規則正しく訪れるものがある。今日もついさっき、それを確認したばかりだ。
「生理は妊娠の失敗」と説明した、中学校の保健体育の教師の顔をぼんやりと思い出してみる。ということはわたしは今月も妊娠に失敗したことになるわけだが、それは正しくない。なぜなら、例えばわたしは今月一度も夫とセックスしていない。生理が妊娠の失敗と言い切るからには、日常的にセックスがあるという前提での話であって、わたしのように全く妊娠とは関係のない生理を迎える女はどうしたらいいのだろう。ひどく損をしたような、釈然としない気持ちだ。
「セックスしていないんだもの、当然の生理よ」とひとりうそぶきながら、ひどく虚しい。当たり前の事実がかなしいというよりは、ただ生理の始末をするなんて割に合わない気分だ。女はセックスというご褒美あってこそ、月々の面倒くさい生理をこなしていけるのだ。
わたしたちは二十代後半の健康な夫婦。自分で言うのも何だが本当に仲のいい夫婦だけれど、セックスだけがない。全くないというわけではないが、ほとんどない。月に一回あればいい方、しかもそれは耐えられなくなったわたしの方から求めるのがほとんどだ。月の満ち欠けのようにわたしの気持ちも波打ち、時にたまらなく欲しくなることがある。その気持ちを正直に言えば、相手は夫でなくともいい。誰かわたしの火照りを鎮めてくれる男ということになろう。まるで安っぽいメロドラマ。わたしを優しく抱いてくれる、生理的にも好ましい男。もっともそういう男は結局目の前にいる夫ということになるのだが、そうそうお互いの気持ちやコンディションが合うわけではない。男だったらてっとり早くマスターベションするのだろうな、とぼんやり考えるのはこんな時だ。
前はこんなふうではなかった。わたしたち、ただのすけべえな猿だった。
結婚前、いわゆる遠距離恋愛だったわたしたちは月に一、二回ぐらいしか逢えなかった。しかしというか、だからほとんどのデートにしっかりセックスが付いていた。
「俺、小田原過ぎてからずっと立ちぱなしだった」
「えっ、小田原から人がいっばい乗ったの?」
「カマトトぶりやがってえ。おまえこそ濡れながら待っていたんじゃないのか」
新幹線のホームでじゃれあいながら、そのままホテルへ行く。ただのオスとメスだったわたしたち。全くの動物でいるという感覚は人をのびやかにさせる。少なくともわたしたちはそうだった。そして、ホテルから出ると決まって「ああ、腹減った」と、空腹をうったえる彼。ことの後は決まって肉を食べたがった。とんかつ屋や牛丼屋など色気のない店に入りたがるのには大いに不満だったけれど、がつがつと飯をかっこむ横顔を見ているといつも幸せな気持ちになれた。たった二十七歳だというのに、今では彼にその頃の野性はない。なんだかおとなしい羊のようになってしまった。
恋愛中のわたしは、「この男はわたしを抱きたいと思っている」という実感だけで、世界中の女を敵に回しても怖くないと言い切れる不遜さを持っていた。わたしを欲しいと思っている男の存在は、わたしを有頂天にさせた。そして、事実充たされてもいた。しかし現在の生活は、心が満たされても体は充たされない。いや、体が充たされないからどこか不安で、心のバランスがとれていない。
今なら、断言できる。体が充たされると心のかなりの部分までも満たされる。女なら多少なりともそういう部分は持っているはずだ。たぶんわたしは、体に支配されうる女なのだろう。このことを自慢するするつもりは毛頭ないが、特別恥じてもいない。食欲と性欲は紙一重。「ロだって穴のうち」と描いていた、内田春菊の漫画をぼんやりと思い出したりもする。
『僕って何?』じゃないけれど、セックスって本当何だろう。
例えば『失楽園』を読み一番印象に残ったのが、久木が凛子と交わるときに発することばだった。「欲しい」、と何度久木は呻いたことか。「君が欲しい」「今すぐ逢いたい」「食べてしまいたい」。女にとってまさに理想のことばが作品中にちりばめられており、わたしは凛子とともに至福の時間を味わった。
もっとも、『失楽園』を映画館で観たときには近くにいた中年女性のグループが、「こんな美味しいもの食べて、きれいな所に旅行していいわねえ」と無邪気に騒いでいたのがおもしろかった。彼女たちこそ本当は無邪気そのものではなかったのかもしれないが、それでも「美味しいもの」が真っ先に挙げられているのが興味深い。でもわたしなら、どんな極上の飽のディナーを食べるより、女として強く求められたい。しかし、夫婦間のセックスは言わば公認されたもの。世の夫のいったいどれほどが、妻に向かい、「ほ、欲しい」と飢えた犬のように求めるだろう。多くは土曜の夜のお約束事だったりする、恬淡とした作業に近いのではないか。自分の状況を棚に上げて言っているので本当かどうか分からないものの、当たらず遠からずというところではないか。夫婦のセックスに隠微さは感じられない。「しようか」「今日、する?」という言葉にはけだるい響きさえある。欲情を含んだものとは到底思えない。
夕食の揚げ物の匂いがかすかに残る部屋でいきなりセックス、さあ日常を忘れましようといっても、そうそうその気になれるものではない。ドラマのように気取って全裸になっても、エアコンが効かずに肌寒い思いをするかもしれない。途中で電話がかかってくる可能性だってある。現実のシチュエーションは、セックスだけに没頭できるほど全然ロマンテイックではないのだ。凛子の赤い襦袢にしろ「まるでポルノみたい」と思う前に、「わざわざ買うなんてもったいない〕としてしまうのが、生活がかかった主婦の常というもの。しみったれているが仕方がない。主婦はエッチに金はかけない。金に糸目を付けないセックスは不倫の関係だけなのである。
そう考えると、結婚生活ではセックスは意外と隅に追いやられているものだという気がしてくる。結婚は生活だ。生きていくことだ。セックスはオーガズムを通し、言わば生きながら死を体験するもの。所詮、セックスは結婚という生活にはおさまらないしろものなのだろう。結婚生活が平坦ではないのは、こんなおさまりきれないものを抱えているからかもしれない。だが、欲望は捨てきれない。人間は全くやっかいな動物だ。
わたしなど独身の女友達から「結婚生活はどう?」と尋ねられると、いつも半ば困惑してしまう。かつてのわたしがそうだったように、セックスレスなんて自分には関係のないことと信じて疑ってはいないだろう。独身の女というのは性に対して食欲で、なぜか自信も持っている。正直に告白すれば、「結婚すればさぞかしやり放題」という彼女たちの期待を裏切ることになるだろう。もちろんわたしにもプライドがあるから口が裂けても言わない。実は現在セックスレスなんて、自ら魅力のない女と公言するようなものだからだ。
だからわたしは、自嘲気味にこう答えるのが常になっている。
「ダンナがいないと淋しいけれど、いるとうざったくなるのが結婚だよ」
そう言われると夢も希望もなくなると、結婚前の友だちからはプーイングがくるのだけれど、所詮どこのカップルも似たり寄ったりだろう。そう、うざったい。もっと正直に言えば、飽きてしまったのだろう。飽きてはいるが、愛がないわけでは決してない。そこが結婚生活の不思議だ。
一人の人と一生を共にする生活は妥協と嘘がなければ続けられない。人間は変化する生き物だから、その成長に応じてパートナーをチェンジするのはあながち理にかなっていなくもないのだろう。アメリカの上流階級によくあるトロフィーワイフというのは、合理的で正直な制度だ。もっとも日本に根付くかどうかは疑間ではあるが。
恋とは古代から逢えないことを思い詫び、託つこと。逢えないからこそ思いが募り、相手へのいとおしさが増すものだ。結婚生活はエロスの死。慣性にエロスは宿らない。結婚し生活を共にすることは、信じられないほどの安らぎと落ち着きをもたらしてくれるけれど、こういった幸せはアガペだからこそ宿る。
愛と性が分離するのが結婚。疲れない関係こそ結婚生活の理想。だが人はオスとメスという一面も捨てきれず、ゆえに浮気をしたりセックスレスに悩むのだろう。皆本当はセックスがしたいのだ。性愛にまみれ、もっと体に溺れたい。ただの動物になりたい。『失楽薗』が話題となったり、『チョコレート革命』や『不機嫌な果実』『義務と演技』などの不倫をテーマにした本が売れるのも、このようなわたしたちの深層心理を触発しているからではないだろうか。
セックスしたい。わたしだって本当はセックスしたいのだ。セックスレスがトレンディだなんてちっとも思ってはいない。お互い馴れ合い日常にまみれた関係になってしまった以上、刺激的なセックスはありえないのかもしれない。だが枯淡の境地に達するには、まだ何も知らなさ過ぎるではないか。三十歳を前に性を捨てるなんて、あまりにもみじめすぎる。ただ情けない。
しかしセックスレスになってしまった原因なんて、案外当事者にすらよく分からないものなのだ。あんなに互いのセックスがよくて、肉欲にまみれていたわたしたちだってセックスレスに陥ってしまった。日々の仕事の疲れかもしれないし、ささいなきっかけで拒否されたことが彼にとってはトラウマとなっているのかもしれない。考えると追い詰めていきそラで怖くなる。結局こうして逃避してしまうから、現状はちっとも変わらない。まさに袋小路だ。結婚生活はエロスの死と諦観しながらも、性愛に耽溺したいと望んでいるアンピバレンツな気持ちが、わたしを不安定にさせている。
わたしたちの場合肉の切れ目が縁の切れ目となるか、どちらかが浮気をするのか分からない。それとも子どもだけはつくり、家族となって暮らしていくのか。セックスレスのなれの果てがいったい何なのか、見据えてみたいと思っている。
●受賞にあたっての感想
GEYMS論文大賞受賞の知らせを受け、正直なところ困ってしまった。まさか受賞するとは思ってもみなかったので、はっきり言って慌てた。本来なら、真っ先に夫に伝えたいところだが、内容が内容だけに知らせない方がいいのかもしれない。何といっても「セックスレス」の論文だ。しかし幸いというべきか、夫は只今出張中。どちらにせよまだ時間はある。彼のご帰館までに考えるとしよう。
しかし、大賞というのは久しぶりにご褒美をもらったようで嬉しい。高校時代から愛読している渡辺淳一先生が審査員をして下さったというのも、まるで夢のような話で感激している。ところで、受賞を知ったのはあたかもテレビ『失楽園』の「阿部定絶唱」の日だった。何だか複雑な気持ちだ。
●略歴
29歳会社員、早稲田大学卒、東京都出身。