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GEメディカルシステム(日本) - エッセイコンテスト
第16回 GE横河メディカル・エジソンEssay大賞

 

ゆとりのある報酬
揺らぐ仕事観~今私にとって『働く』とは

 
立川 智美 (タツカワ トモミ)
 

28歳で母となり幼子を保育園に預けて仕事を続けていた。朝8時30分に勤務が始まり帰宅は19時が一番早い時間だった。団体職員の出向という形で多数の女性パートで成り立っているスーパーに女性の職員は自分独りだとという状況のまま仕事に追われている内に先ず家庭が壊れた。これまで何とか取り繕って過ごしてきたのが姑の死を境にアラを全て吐き出す形で一気に壊れた。
 未だ1歳半の娘を連れて実家に戻り親に甘えて仕事に出る。家庭がある間よりも自由に働く毎日となり、一番甘えたい時期に親という存在を確認出来ない不憫な娘を思いやるゆとりもなかった。働く姿を見て解って貰えると信じ込み続けて狭いスーパーの中を駆け回る数年間が過ぎていく。「私が居ないと店が回らない」という強い驕りの中で、家を、娘を顧みる事さえなかった日々。そして5年目に私の体は、悲鳴を上げて壊れた。
 「乳がんです」
と言う医師の言葉に愕然としたものの、仕事を辞めるという事は頭に無く日常業務をこなしながら治療を進めてゆく。投薬と放射線治療の中で勤務が終わると1時間の病院までそのまま車を走らせたことも1度や2度ではなかった。休みの日も当然病院行きで唯一病院の無い日は一日中寝て過ごす。これからどんどんと大きくなりお金も掛かるようになる娘を思うと、職を失うということがとてつもない恐怖に思われて何としてもしがみついて居たかったのかも知れない。そうしてだましだまし過ごしてゆき、娘が小学校に入学すると同時に再び倒れることになる。
 長い間のホルモン剤投与による副作用なのか、それとも全く別に発病したのか元々低すぎた血圧が200を軽く超えていたのだった。
 頭痛や吐き気といった症状がないままに動けなくなり入院、治療、手術を経てついにこれまでガンでさえ止められなかった仕事にストップがかかった。
 「難治性の為自宅療養」というドクターストップだ。春先から入退院を繰り返し、秋にドクターストップーがかかりその年の大晦日、通常どおり8時過ぎに勤務を終えて私は退職をした。
 「病欠の制度はないから、欠勤扱いになるよ」という会社の判断が決心させてくれた。平成十二年十二月三十一日。その日に私は35歳になった。

 仕事を辞めて1年間の前半はベッドで過ごした。朝娘を送り出し又そのまま寝直し、下校直前に起き出すという生活を続け、徐々に起きている時間を延ばしていったのだが、その間僅かな蓄えは確実になくなってゆく。しかしこれまで知らなかった娘のいろんな表情や、何時の間にか出来るようになっていたありとあらゆる姿を見る時間には換え難い。この僅かな蓄えの為に今まで過ごして来たのかと思うと馬鹿らしくなり、残高が減り続ける通帳に未練は無かった。
 そして今、やっと1日に8時間、週に5日間という仕事に就くことが出来た。地方公務員の臨時職員だが、来年の保証も無ければ負わされる責任も無い。職員の下働きで丁稚のようだと自分で笑う。そしてこの丁稚が何より気に入っている。当然平日のみの勤務だから休日は娘とゆっくり過ごすことが出来るし、今まで参加できなかった行事やイベントにも出掛けられるようになり見るもの、聞くもの世界が拡がった。
 自分の労働に対する報酬は高くないし、町内で働くパートさんの賃金に勝てはしない。自転車操業そのものの生活だが心の中には大きなゆとりが生まれた。
 欲しい物は手に入らないし、行きたい所にもいけない。二人暮しの為に建てた家のローンを払うと手元には幾らも残らない。
年々伸びゆく娘の身長に合わせて服のサイズを大きくしてゆくのもままならない。クツも服もボロになるまえにサイズが合わなくなる。理不尽だと解っていながら
 「そんなに一気に大きくならないでよ」
とつい口にだしてしまいそうになる。必要最低限の物だけ揃えてゆくのだが到底自分までは手が回らない。月に2度髪を切っていたのが年に2度になり鏡を覗くと笑ってしまう。それでも今私には笑顔が出来る。
 苦しいことを苦しいと言える今の自分がとても好きだ。習い事をさせる余裕もないがその分ゆっくりと娘と話すことが出来るし二人で考え話し合い物事を進めてゆける。そうして出来上がった全ての物は何にも換え難い私の宝物だ。
 5分の力しかないのに10割の仕事をしようとして身体のみならず何もかも壊していたあの頃が今では恐ろしい気がする。力量不足だと認めてしまい足りない分を努力しようとするのは恥ずかしい事じゃないとようやく解ってきた。背伸びは続かないし何よりも疲れる。ありのままをさらけ出し、尚且つ、それでもいいと受け入れて貰える私は幸せ者だ。
 どんな仕事も大変さは同じで、不必要な仕事はない。働いていく上で幸せになる方法は自分の心がけ一つだと言う事に気が付いて良かった。何もかも失う前でよかった。友人も家庭もそして命さえも。  金銭的なゆとりは何処までいっても決して満足できるものでは無い。でも心のゆとりはほんの僅かでも幸せになれる。社会的に認められなくても、贅沢な生活が出来なくても、心にゆとりを持って出来る仕事は何にも換え難い。そして私の労働に対する報酬が戴けるものなら心にゆとりのもてる報酬を戴ける、そういう仕事を続けていきたい。 壊れれば取替えのきく歯車の一つになる仕事にはもう二度とつけない。

幸せなゆとりに包まれている今の私にはどうやら病魔も寄り付けないのか、すっかり姿を消してしまったようだ。(了)

 

 

 


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