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1980年代に欧米で流行り始めた乳房温存術は、当初「癌に罹った乳腺なのに、全部取らなくて平気だろうか」という不安が先立ち、几帳面な日本の外科医たちにはなかなか馴染めない術式であった。かく言う私も当時は温存慎重派の一人で、せめて術後の創が線路みたいに残らぬようにと、時間をかけて埋没縫合したもので、当時私の乳房に対する美的な思い入れはやっとその位だったのである。「私たちの気持ちを判ってくれるから女の先生で良かった。」と患者に言われるたびに実はひどく後ろめたかった。なぜなら生来の磊落な性格に加え、外科医になってこの方、師事したのは教授を始め常に男性の消化器外科医だったのだ。「お乳がなくっても、メシは翌日から食えるんだから心配しなさんな」とこそ言わないまでも、自分の思考回路がかなり男寄りに仕上がっていることは、私自身誰よりも自覚していた。余談になるが、一つだけ男性医師との決定的な差異を挙げるならば、自分の年齢が上がるにつれて「若い」患者の定義が変わっていくことである。これに対して男性は、自分の齢とは無関係に「若い女」を定義しており、その上限が自らの加齢とともにシフトすることはあまりないようである。私の観察が正しければ、みめ麗しさに基づく多少の心酌を別にすると、彼らの物差しでは、乳癌の好発年齢である40代は既に「若くない」集団に含まれてしまうらしいが、平均寿命84才を誇る日本人女性が、一生の半分以上を「若くない」という意識を持ったり持たれたりして生きるのも不幸な話である。
乳腺外科に足を突っ込んで2年目の春、目から厚いウロコが落ちるきっかけをくれた症例に出会った。良性腫瘍は若い女性に多い。外科医は彼女たちに「傷が目立たないようにしてあげる」と言いながらも、客観的にはかなり目立つ傷を残して摘出するのが常だったが、その新患は「それだけは嫌だったので、大学病院に来ました」と凛として言う。私のマニュアルに彼女の望む答えがないことは明らかだった。ではどうすれば..。即答を避けてその場を凌ぎ、私の苦悶の日々が始まった。が、彼女の狙いはけだし間違ってもおらず、幸い大学病院には「5cmの乳腺良性腫瘍を腋の下から内視鏡で取る」という苦し紛れの私の提案に、一緒に立ち向かってくれる先輩外科医がいたりするのだ。かくして乳腺内視鏡手術が始まり、以後多くの患者が乳房を傷つけることなく摘出術を受けられるようになったが、全てはあの日離島から一人でやって来た少女の勇気と決意の賜である。
乳腺外科の患者層は実に幅広いが、地元の病院を何軒でもハシゴしたり、評判と聞けばどんなに遠方でも飛んで来るという恐るべき共通点があり、私はこのすさまじいエネルギーに怖じ気づくと同時に、女たちがおっぱいをこよなく愛している事実をやっと認識し始めた。勿論「若い子」ばかりではなく、いわゆる熟女たちは、照れが入って屈折しているから更に複雑で「もう年だし、お乳なんて無くても平気ですよ」と豪語するのを聞いて、素直な御主人が横から「そうさお前」などと相槌でも打とうものなら「貴方は黙ってて!」と一喝されるのがオチである。然るべし。御主人には申し訳ないが、もとよりそれが妻の本心であろう筈はなく、そんな簡単な嘘はさっさと見破ってあげなければいけないので、大人の女の方が世話が焼けるのである。女たちのおっぱいへの執着に気付いてしまった結果?今度は私のこの変化に気付いてしまった患者から「胸がなくなったら死にます」と脅され、「痕が穢くなるから放射線はあてません」と駄々をこねられるハメになり、「乳房を残して頂きたくて..。」と80才の婦人までやって来るではないか。こうして私の乳房に対する美意識は、否応なしに目覚めさせられていった。
折りしも乳癌に対する乳房温存術がブレイクし、適応も急速に拡大されて行ったが、それが故に今度は切除範囲が大きすぎて、乳頭があらぬ方へひきつれ、残骸のようになった乳房を見かけることも増えた。そして乳房温存術という魅惑的な名称にも拘わらず、執刀した側とされた側の感想が、どうしようもなく懸け離れてしまうかも知れないこの手術が、私は依然としてあまり好きになれずにいた。大体、日本人の小さな乳房を4分の1も切除すれば左右のアンバランスは必至であり、乳腺や乳頭は残したが、乳房の美しいフォルムは跡形もないと言う悲劇と、この術式はいつも隣り合わせなのである。更に、温存術後の放射線照射に対する患者たちの負担は大きく、働き盛りであったり子育て真っ最中であったり、と社会や家庭の中核を担う乳癌年齢の女性にとって、退院後5~6週間に及ぶ連日の通院がかなりのストレスになるであろうことは想像に難くない。「予防的な放射線照射をしなくてもいい方法はないか?必要なだけ乳腺を取っても変形を目立たなくする方法はないか?乳房の皮膚を無駄に取らないで済む方法はないか?」私が再び悶々としている時、またもや患者が2枚目のウロコを剥がしてくれた。「先生、私せめて膨らみさえあれば随分気が楽だと思うんだけど..。」患者が残して欲しいのは乳腺組織ではなくて、おっぱいの形なのだ。そこで、温存するには病変が広すぎるが、皮膚や筋肉を冒していない乳癌に対して、脇の数センチの傷から乳腺とリンパ節を切除して、何も無くなった所に豊胸術用の生理食塩水バッグを入れることにした。お饅頭の脇腹から餡を全部くり抜いて、ゼリーに入れ替えたようなもので、正面から見たら元のお饅頭、と言う訳である。こんなお菓子では到底売れそうにないが、術後も膨らんだままのおっぱいはかなり好評で、何より再建を受けた患者は術後に明るいのだ。彼女たちの満足げな様子に確かな手応えを感じていた矢先、その患者の口コミで新患が来て、「あんたも作ってもらいなさい、と言われました。」と言う。感激のあまり「これからも一生乳腺外科を続けていこう。」と心底思ったもので、どうやら私はおだてられると木に登るタイプらしい。
そんなある時、70才の婦人が胸筋温存乳房切除術を選択した。病棟には同じ時期、再建術を受けた40代の患者が2人いたが、乳腺外科の患者たちの常で、3人は友好を深め、術後も互いの胸を見せ合うほど仲良くなっていた。そして後輩たちの術後も揺れている2つのおっぱいは、婦人のライバル意識に火を点けてしまった。いくつになっても女は大変である。暫くは自らの選択を朝な夕なに悔いていたが、「どうしても我慢できなかったら、再建して貰いに来ます。」と言い残して退院した。「どうしても我慢できない」場面が、日本には確かにある。この国の人々は老いも若きも温泉が大好きで、そう言えば大浴場で胸元を隠して入浴するヤマトナデシコなど見かけやしない。女たちにとって2つのおっぱいは、文字通り胸をはって温泉旅行をするに必須のアイテムなのである。
ともあれ、術前夜はらはらと涙を流しては術式をあれこれ迷っていたくせに、麻酔から覚めるや胸に手をやり、膨らみを確かめると今度は嬉し涙を流す。かと思うと、翌日にはもう同室の患者や見舞い客に再建した乳房を披露している、厄介なるも可愛い女たちを私は結構大好きで、「女の先生でよかった」という言葉に、遅ればせながら少しづつ応えられるようになりたいと、心より願うこの頃なのである。
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