同じ傷を持った仲間と言えども、尻に傷持つ仲間との出会いなど、そうそうあるものではないだろう。「どうせなら、取っちゃいなさいよ」そんな母の一言で、長きの間わたしのコーモンを苦しめたイボ痔とおさらばするべく、東京・下町での13泊14日の入院生活が始まった。14日分の荷物を詰めたスーツケースを引き引き辿り着いたのは、荒川のとある肛門科。築ウン十年、3階建てのオンボロ病院を仰ぎみて「ああ、うら若き20代の女が来るところじゃないわ」そんなため息をつく暇もなく、2階の入院部屋に案内される。するとどこからともなくよれよれのパジャマ姿のおっさんが現われ「こっちだよ」と私を誘うではないか。招かれるままについて行くと、そこは応接間のような大きな部屋であった。「私が、本日の幹事長、鈴木です」おもむろに頭を下げるおっさんに挨拶を返すと、おっさんの周りには、パジャマ姿でくつろぐ十数人の老若男女の姿があった。しかも彼らは、私を見て微笑んでいる。「はじめまして」「よろしくね」。この患者集団が、尻に傷持つ仲間、人呼んで「尻愛会」の面
々であった。幹事長とは実は「患痔長」のことで、患者衆の中でも入院暦の長い者が就任するという名誉ある職務なのである。ただし、日替わり。毎日のように退院者と入院者が去来するので、患痔長の任期は、宇野総理のそれより短いのだ。パジャマ姿の患痔長は、輪の中心に座って、私に病院から支給された入院セットの中から、恥ずかしげもなく女性用のナプキンとガーゼを取出し「ええと、このナプキンをですね、こう縦に置きまして、ガーゼをこのようにテープで貼り付けて肛門に当てる!トイレ一回につき、これ一個持って行きます。その時、軟膏も忘れない!」患痔長は、特製ナプキンを作りながら、まもなく必要不可欠となろう術前術後の心得をひとしきり私に伝授した。「あのね吉田さん、あんたいま、手術の瞬間が恐いだろう?でもねそりゃあ大間違い!ホントに恐いのは術後8日目だよ。これを私たちは『魔の8日目』と呼んでます」などとさりげなく、術後の油断を戒めるセリフも、忘れなかった。
この広い応接間は「尻愛会」のラウンジであった。オンボロで、雨水が漏れはするが24時間オープン、冷暖房完備、冷蔵庫には当番が仕入れた「いいウンコをつくるための三種の神器・バナナ、ヨーグルト、ジュース」の食べ放題。その奥にはヤニで黄色く染まった喫煙所があり、術後喫煙を許可されたメンバーが、夜な夜なシュポシュポやりながら肛門の話で盛り上がる。肛門の傷をかばうために恐ろしく行儀の悪い態度でくつろいでいても誰にも叱られないソファで、TVを見ながら、バナナを食べながら彼らと過ごせば、見舞い客なんか、必要ないのだ。
「あたくしはねーぇ、子供が成人してひと安心でやっとここに来られたの。痔持ち30年だったのよ」「僕は、仕事あるから我慢して堪えてたんだけれども、ついに出血しちゃってねぇ」「俺はさぁ、軽い気持ちで診察しに来たら、入院だっていうからビックリしたよ」口々に身の上話をしながら、彼らは患痔長とともに私の特製ナプキンを手際よく作ってくれていた。ここにいる人々はみな、すでに「痔」とはおさらばした先人なんだな。そう考えながら私は、パジャマの輪の中にすっぽりと入って、いつのまにか「尻愛会」のメンバーになっていた。彼らの解説と笑顔は、私の中にあった手術や入院への不安を見事に払拭してくれた。その時、私たちの周りには医者や看護婦さんはもちろん、病院のスタッフは、誰一人いなかった。
ところで、この肛門科は「再発なし」の腕利き院長が有名な病院であるが、どんなに名医の腕にかかっても、手術が傷の一種であることに変わりはない。コーモンというと人は笑うが、そこに傷持つ人間だけがその存在の大切さを思い知る瞬間がある。それは、放尿と脱糞の瞬間である。驚くことなかれ、オシッコという行為も、肛門には大いに作用し勢いよくシャーッなどと放出することなど容易にできはしない。チビリチビリである。ましてや脱糞の瞬間の産みの苦しみといったらなく、病院のトイレでは昼夜なく、しばしば、「尻愛会」の面
々のうめき声が聞こえる。助けてあげたいが、そういう自分もまた、便座に腰掛けてまんじりともせず痛みなき脱糞の瞬間を祈るのに必死だったりするのだ。トイレを出る時、入り口に脱いであるスリッパの色形を見て初めて「ああ、あの声は杉田さんだったのだな…」などとわかるのだ。
「食事の用意ができました、どうぞー」フロアに給食のおばちゃんの声が響き渡ると、お箸を差したマイ・コップを片手に、お尻を押さえながら三々五々食堂へ向かう。「痔」とおさらばした後はすでに病人ではないので、一同に会して食事をとるのだ。常識で考えれば、食事中に下ネタはタブーであろうが、「尻愛会」には通
用しない。「いやぁ、今朝は長くて細いのがスルーッと出てね、痛くなかったんだよ」「ごめんなさい、少し斜に腰掛けてもよろしいかしら。まともに座るとクッションに肛門が当たって痛いのよ」「あー、今日もモリモリ食って、いいウンコ出すぞ!」「トイレのさ、奥から二番目はやめといた方がいいぞ、ウォシュレットの勢いがすげぇんだ」下ネタのオン・パレードである。
そして、午後になると1階診察室で日に一回の「肛門チェック」の時間だ。しかしこれがまた厄介である。肛門の傷は歩行にも支障をきたし、一歩前へ踏み出すと治療直後の患部が伸び縮みするからたまらない。2階から1階診察室への階段下りはまさに「コーモン破りの階段」で、壁の貼り紙「回復のために、なるべく歩くようにしましょう」という矛盾を横目に、パジャマ姿の老若男女が、尻を押さえながら一列になってヨチヨチと下りて行く。その姿はまるで間抜けなカルガモのヒナである。集合したカルガモは、各々の診察室に散って、肛門チェックを受けた後、良好であれば退院日が知らされる。診察室の奥から「やったー!」と歓びの声あり、ため息つきつつ出てくる者あり。もはやその時、人前に尻の穴をさらすことへの恥じらいなどは何もない。ただただ、回復に向かって一喜一憂する各々の姿が、そこにはある。
そのくせ、朝食時に本日退院のメンバーがこんな言葉をもらす。「えっと、今日で尻愛会を卒業します。ほんとは、ここに残りたい。家に帰りたくないです。」座がしんみりとする。明日から、同じ傷持つ仲間なくして俺はどうしたらいいのだろう…そんな卒業生の憂いを吹き消すかのように「がんばれよ!」「また戻って来てもいいんだぞぉ!」食堂はドッと沸き上がる。
私は、この病院で治療を受けたことを幸運に思う。病院では、優秀な医者と、最新の医療設備に頼るものと思うのは健常者の観念かもしれない。「尻愛会」は、院内自治国であった。患者が、患者による、患者のための世界を創っている。しかし忘れてならぬ
のは、患者の自治権を認めながらも干渉せず、無視もしないで温かく見守ってくれている病院側の気持ちあっての「尻愛会」だということを。手術の傷は医者が、心のケアは患者自らの手で治そうという姿は「治療」として実に美しいバランスを保っているのではないだろうか、そんなことを実感させてくれた下町・荒川での13泊14日の出来事であった。
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