親のしごと、何だろう。
「子どもにご飯を食べさせる、服や靴を与える、本や文房具、おもちゃを与える、学校に通
わせる、ランドセルを買う、給食費を払う、学費を払う、躾をする・・・」
ふっと思った。親でなくてもできることばかりではないか。これらはお金を払えば、赤の他人でもしてくれそうだ。では、血の繋がった母、父にしかできない「親のしごと」とはいったい何なのだろう。
電車の中で見かける親子で、ときどき笑ってしまうほどそっくりなペアに出会う。顔かたちだけでなく、雰囲気や振舞いまでうりふたつ。頭を掻き、指を嗅ぐしぐさまで同時だった父子を見たときは、他人には入り込めない絆を感じた。この繋がりを受け継がせるのは実の父母にしかできないことだと思った。
妊娠と同時に、その繋がりは生まれる。そして、その時から「親のしごと」が始まる。
自分の子どもだけにたくせるものとは何か。
「DNA」
自分の子どもにだけできることは何か。
「宿したことに責任を持つこと」
「子どもが血の繋がりに誇りと自身を持てるようにすること」
つまり、「自分が引き継がせたDNAを育てていくこと」が親のしごとなのではないだろうか。
生殖は生き物の大きな役割である。中にはカゲロウの成虫のように、次世代を残すためだけに生まれてくるかのようなものもいる。
子孫を残そうとしない生物はいない。つまり、種を存続させることはこの世に生を受けたものの最低限の仕事なのではないだろうか。
下等動物の場合、機能が単純な分、個々による差があまり見られないが高等になればなるほどそれは出てくる。子育てする時間の量
にもほぼ比例し、最高レベルのヒトでは個人による能力や性格の違いは大きなものになる。
個性が出てくるのだ。
下等動物の生殖は、その類を残すこと、例えば、カゲロウなら「カゲロウ」という種を
存続させることが目的だろう。私はカゲロウになったことがないので、こう言うのもおこがましいが、その中に「わが子」を残したと
いう気持ちは少ないのではないだろうか。体内も含めて子育てをする時間がほとんどない運命では、「自分」ではなく「カゲロウ」を引
き継ぐだけで精一杯に違いない。
それに比べると、子どもの世話に時間を費やせるヒトはその親自身の「自分」を残すこ
とができる。子どもが生まれて、「ヒトの世継ぎができた」という人はまずいないだろう。
おそらく、ほとんどの人が、「私の後継ぎができた」と考えるに違いない。
私は以前、小学校の教員をしていた。教え子の中に、遺伝について考えさせられた少年がいる。彼は当時、三年生だった。普段はおとなしく、目立つ存在ではないのだが、音楽の時間になるとやたらと張りきる子だった。
特に声がいいとか音感があるとかいうわけではない。しかし、とにかく自分の音楽センスに自信を持っている。
ある時、その前向きな態度を褒めると彼は得意げに言った。
「ママは音大を出て、歌のコンサートを開いたことがあるんだ。それに、パパはバイオリンがすごくうまいんだよ」
だから、自分にも音楽の才能があるはずだ、と言いたかったのだろう。
彼は今、大学一年生。美術を学んでいる。 「音楽の才能は遺伝しなかったけれど、その分が絵の方にいったような気がする。もし、
絵も駄目だったら次を探すから」
いきいきとした顔を見て、親から受け継いだ血を誇りに思い、自信を持っていることを感じた。
「私には必ず何か才能があるはずだ」
と、彼は思っている。
真の誇りとゆるぎない自信があれば、ひとはしっかりと生きていける。何が起きても、
それを力にして這い上がれるような気がする。
彼の両親は息子から尊敬されるよう、そして、そのDNAを引き継いでいる事に自信を持たせるように育てたのだろう。
我が家の場合、父は公務員、母は普通の主婦だった。ふたりとも音楽も運動もオンチで、
特技を聞かれると首をひねるような人たちだ。
私が幼稚園に入った頃から、原爆病だった父が入退院を繰り返すようになり、母が家計を支えるために働きはじめた。昼間と早朝のパートを二つ掛け持ち、家事、育児の一切をし、父の病院にも行き…、今思えば、よく体
がもったものだと頭が下がる。私は母が病気で寝込んだ姿を一度も見たことがない。ストレスで当り散らされたという記憶もない。
「私に与えられた運命ね。でも、なんとかなるわ」と、あっけらかんと笑っている姿ばかりが思い浮ぶ。
先日、父の十回忌に当時のことを聞いた。
「あの頃、私やお兄ちゃんが負担になっていたことあったでしょう?」
「ないわよ。逆にあなたたちがいたからこそがんばってこられたんじゃないかしら」
母は言った。そして、
「お父さんの病気のおかげで楽しいこともあったのよ。仲良くなれた人もいるしね。自分が入院することになったらこうしよう、ああしたら看護婦さんが楽なんだ、ということもわかったわ。私は優秀な患者になれるわよ」
と、ケラケラ笑う。
私はときどき、「我慢強い」「楽天家」の血 を引き継いでいることを感じる。というより、
あの母の子なのだから「頑張れるはずだ」と 思う。また、何か困ったことが起きても、どこかで開き直っている。どうも、母の「なんとかなるわDNA」が体に沁みこんでいるよ
うなのだ。私は彼女の娘であることに誇りを持っている。
子どもが親を「凄い」と思うことができれば、それだけで立派な子育てだろう。尊敬させることができれば、あとは子どもに「あなたには私の血が流れている」ということを教えれば、子どもは自信を持って生きていけるのではないか。そのためには、親自身が自分に誇りを持っていなければならない。自信がなければ、胸を張ってDNAを受け継がせる
ことなどできないのだから。
ただし、それは本物の自信でなくてはならない。まわりの評価に関係なく本当に胸を張って生きているかどうか、子どもは勘で見抜く。実感できない親の凄さは、ただの大人のエゴイズムとうつるに違いない。
私はそろそろ結婚する予定だ。できれば、すぐにでも子どもを生みたい。そして、育ててみたい。ただ、親としてのしごとはもう始まっているのだろう。それは、自分を磨いておくこと。自分に本当の自信を持てるようにしておくこと。
子どもができたら、真っ先に胸を張って言えるようになっていたい。
「あなたは私の子どもです。そのことに誇りを持って生きてほしい」
その日から、受け継がせたDNAを育てる ことが私のしごとになる。
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