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第11回GE横河メディカル・Essay大賞 エジソン賞受賞作品

より多くの顔を持つ生き方を
~香港のパートタイム刑事のように~

薛 偉耀

 

 香港には「パートタイム刑事」がいるんだよ、と言ったら日本の友人たちから「うそー」という反応。「本業俳優、時々アルバイトで警察官」という芸名「日本仔」さんは香港では有名人だ。警察官のアルバイト中に容疑者を追跡したが、「どうせ撮影だろう」と周囲はひややかだったこともあるという。
 私自身来日前は、中学教師と雑誌記事の翻訳という二足の草鞋を履いていたが、同僚の教師たちも副業として貿易業や映画エキストラをしたり、アルバイトで警察官も勤めたりと、実にさまざまであった。男女問わずそうである。
 香港の企業には終身雇用制も年功序列もない。徹底した資本主義社会のため、日本の年金や保険にあたる福利厚生もない。歯でも痛くなれぱ一万円近い医療費を要求されるし、老後に不安があるからこそ、あちらこちらで一生懸命に稼ぐ。
 福利厚生がない以上、一つの企業だけに長く勤める理由もないし、何よりもまず、一つの会社に忠誠を尽くす」という概念自体がない。いつでも基本は「自分(と家族)優先」だ。「より多い収入」を求める労働者と「より多くの利益を上げる人」がほしい企業側が一時的に契約しているだけの状態が、私たち香港人にとって「勤める」ということである。そして、他によりよい条件・収入の企業を見つけれぱ、即転職する。香港人が一つの企業に勤める期間は、平均六カ月といわれており、私たち香港人が、日本の市販の履歴書に記入しなければならない場合は本当に困る。いうまでもなく「職歴」の記入欄が足りないのだ。
 日本と香港は、同じ資本主義社会である以上どちらも「競争社会」には違いないが、その土俵は全く異なる。「香港社会全体もしくは世界」の香港に対し、日本は「一つの企業」が土俵のようである。
 そして、そういった日本の土俵を支えてきたのが、香港ではもはや少数派となったいわゆる「古い」タイプの男女である。先日私は、このような日本の男女、特に女性側の意識のあり方に疑間を持ち、新聞に投書してみた。その内容は次の通りである。

 私の通う大学院では、留学生の八割が中国人で、既婚者も多い。それに比べて日本人の既婚女子学生はほとんど見られない。「自由奔放な女子高生、海外に遊ぶ女子大生」のイメージが世界でも定着している一方で、既婚女性は何かの集まりでも「食事の支度がある」とすぐに帰ってしまう良妻賢母ぶり。私たち中国人社会では、既婚女性は未婚時代と変わらず仕事も遊ぴも自分優先で謳歌し、良妻賢母は、夫を心置きなく働かせ、過労死に追い込む元凶と主張する人も多い。
 会社ではお茶汲み等で召使い扱いされ、結婚すると良妻賢母にならなくてはならないため、日本女性は学生時代に思い切り遊んでおくのだろうか。それにしては、明らかに性差別である役割分担を「女の喜び・本分」と感じている女性が少なくなく、自由を求める女子高生・女子大生たちの外見も、男性社会の決めた「女らしさ」の基準に忠実に沿っている。
 つまり、大半の日本女性は、自由どころか、無意識に男性社会の価価基準を受け入れ、その中でしか生きていないのではないだろうか。(五月九日 中日新聞)

 この投稿に対し、完全な賛成はゼロであったが、次のような反論が寄せられた。
 「妻は刺身のつまとして夫を尊敬し支えるべき。この愛が日本の奇跡的な経済発展のもとになった」(二八歳男性)。「過労死は、妻が良妻賢母でないから起きる。良妻賢母は女性の理想の一つ」(四四歳女性)。「無意識に押しつけられた性差別ではなく、私は自ら選択して家庭を守ることに専念する」(三七歳女性)。「家庭とは子育てに関し責任ある場であり、主婦とはそれを守る尊い仕事。夫から料理がおいしいといってもらえれぱ幸せ」(四十歳女性)。
 会社人間たる年配の男性からの反論は想定していたものの、実際には女性と若い男性が多かったのが不思議だった。彼らに共通する意識はいうまでもなく「家庭は女性が守り責任を持つべき場」というものである。
 働く妻を支えたり「おいしい料理」を作るのがなぜ男性ではいけないのだろうか。「責任ある場」である家庭を守る仕事をなぜ男性がしてはいけないのか。いずれも、香港の男たちが実践していることなのに。
 日本の女性たちは自らの生き方のみならず、男性の生き方をも制限し、その結果、日本では男女双方が自分の前に置かれた多くの可能性という選択肢に気付かないでいる。気付いても、「世間の目」を恐れて、多数の男女と同じ道を歩んでしまう。一度だけの人生なのに、非常にもったいないことだ。
 これまでの日本女性の多くが「家庭を守る良妻賢母」であることを要求されてきたのと同様に、男性の多くが、「会社人間・不在がちな父親」という一つの顔しか持てず、「趣味・生きがいイコール仕事」だったのではないか。これはたいへん危険なことで、「会社」という拠り所を失えば、人生の終わりにも匹敵するようなダメージを受けかねない。
 「この道を極めることこそ我が人生」と一つの事にすべてをかけている人は別として、興味の対象や生きがい、収入源を「分散」させることは前述のような危険回避にもつながるし、自分の人生の選択肢・可能性をより多く持てるということは、新たな自己発見のチャンスも多くなり、二倍、三倍に人生を楽しめるということにならないだろうか。
 先の見えない不況まっただなかの日本企業で、終身雇用制・年功序列の崩壊が始まったといわれて久しい。だが、心配ご無用。
 幼い頃あまり裕福でなかった私たち兄弟は、公園でビニールシートを広げ、にわか古本屋を開いて、読み終えた漫画などを子どもらに売り食費の足しにしていた。身体の一部が不自由などの、日本では同情されがちな立場の人が、香港ではその身体を売り物に映画撮影所に乗り込み堂々と役を獲得する。香港旅行した人なら目にしたこともあるだろうが、香港の乞食は胡弓演奏という地下道パフォーマンスでなんと一時間あたり五千円を稼ぐ。まさに「サバイバル資本主義社会」とでも呼ぶぺき社会だが、香港人の多くが一見のほほんとしているのは、地球全体が商売の場で、地球が消滅しないかぎり何らかの手段で食っていけるという確信があるからだ。そして今日も、香港の男たち女たちは、「自分と家族優先」で、自分なりの方法で香港ドルをかき集め続けている。
 終身雇用制・年功序列の崩壊は、会社を中心にした競争社会から「自分と家族優先」への移行を加速させるだろう。何も恐れることはない。世界には、香港に限らずサンプルがたくさんあるのだから。家庭では、家事一般にも責任を持ってかかわる一員として、社会では、できる限り多くの顔を持ち楽しんで生きる男たちこそ、これからの日本社会、いや人生の勝者ではないだろうか。

 

●受賞の言葉
 「女尊男卑」といわれる香港育ちの私から見れぱ、日本の男女のあり方は二十年前の香港そのもの。来日して以来ずっと抱いていたその意識の「古さ」に対する疑問が、今回の応募の出発点となりました。未来の日本の男女がこうなるといいなぁと思いつつ、香港でのエピソードも思い出しながら楽しんで執筆したエッセイがこのような賞をいただき、大変感謝しております。多謝。

●筆者プロフィール
 薛 偉耀(せつ いよう) 英語名 Willy SIT(ウィリー・シット)
 1964年12月25日香港生まれ。
 1983年、香港ラ・サール書院(高校)卒業、89年、香港大学文学部中国言語文学科(副専攻 日本語)卒業後、中学教師(国語・中国史担当)、翻訳(英字誌、日本の漫画)などをつとめる。(使用可能言語:広東語、北京語、英語、日本語、韓国語)
 1994年来日後、語学学校を経て現在名古屋大学言語文化部研究生。来春大学院に進学予定。
 現在、夫婦で公民館やカルチャーセンター等で香港文化・広東語講師をつとめる。朝日新聞名古屋版「ニッポン見聞録」欄でエッセイ連載中。日本の教育や女性問題が主なテーマ。また、名古屋市男女共同参画推進スタッフ、名古屋市消費生活調査員、名古屋市政モニター、愛知県政モニターをつとめる。
 1997年 ハート出版「第三回ほたる賞」受賞。(日本のいじめに関するエッセイ) 日本ヒーブ協議会「働く女性のベストパートナー賞」奨励賞受賞。
 1998年 名古屋大学「平和懸賞論文」優秀賞受賞。


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