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第11回GE横河メディカル・Essay大賞 大賞受賞作品

人と人とが違う事の意味

岡澤 創人

 

 僕には幼い頃から好んで読んだ本がある。レオ・レオーニ作「あおくんときいろちゃん」である。この絵本は、絵の具を無造作に塗った主人公を象徴する青と黄が心を通わせることに事に依って両者が全く違った緑になるというテーマで書かれており、そのテーマが人と人との融合を示しているという点で世界的に高い評価を得ている。が僕は「あおくんときいろちゃんのように、友達一人一人は違う色がいい。友達一人一人が違う色を持っている事はとてもワクワクする事だ」と幼な心にこの絵本に感動し、その感動が今の僕の考え方の基盤の一端を担っていると思っている。幼い頃の感動は、十五年間この絵本と交わり続ける事によって「融合は違う色が、違う個性の人間が出会い交わるからこそ可能であり、融合の意義が生まれるのだ。人と人は互いが違うからこそ存在価値があるのだ」という信念に近い思いに発酵していったのである。
 この事を体験し、自己の中で確認する為に言語・宗教・民族などが違う異文化の地への一年間の高校留学を僕は決行した。そして異文化と対峙し、自分の思いと反して互いの違いを違いとして受け入れられない自分との苦闘の中で、「クローン羊ドリー誕生」のニュースを聞いた。このニュースは何れクローン人間の是非を問う議論が沸き上がるであろうという危惧を世界中に抱かせた。僕自身にとっては、クローン人間是非の問題を考える事は、自分が異文化の地で被ったカルチャーショックを克服し、幼い頃からの自分の思いを確認する為の一つの方法となるのではないかと考えた。
 クローン羊、日本でも誕生したクローン牛は、良い肉質を維持するという点で農学の分野において画期的な研究成果であり、おそらく人間世界にも多大な利益をもたらしてくれるだろう。しかしクローン人間の誕生が現実化した場合、一概に画期的などと評することはできない。クローン人間の人間世界における存在価値をどのように捉えるべきであろうか僕なりに考えてみた。
 生物学的見地でのクローン人間、同じ遺伝子を持ったヒトを製造する事が人間世界にもたらす益とは何であろうか。己と総て同じ遺伝子の組み合わせで形成されているヒトを製造する為には、世間的に優秀と評価を受けた遺伝子をコピーしていく為には、クローン移植は効率的であり、成功率も高いであろう。だがヒトは進化の過程において、アメーバ等の単細胞生物の増殖とは一線を画してきた。ヒトは雌雄から半々に遺伝子を出し合い、組み合わせるという生殖方法を選択してきたのだ。雌雄による生殖は無限に近い遺伝子の組み合わせを構築し、多様性に富んだ遺伝子の組み合わせから成るヒトを誕生させる事を可能にしたのである。この遺伝子の多様性が数々の環境変化に対応できる力を見い出し、自然淘汰という洗礼の中で、より強い生命力を選択できる力をヒトに与えたのである。例え優秀であっても、画一的な遺伝子の組み合わせの存在のみでは、予測不可能な環境変化に対しては、ヒトはおそらく無力であろう。
 では同じ遺伝子を持って誕生したクローン人間達は果たして精神面においてもクローン人間となりうるであろうか。成育環境や教育の違いが何らかの影響を与え、全く同一の精神構造を事は難しいであろう。が現代において、同じ遺伝子の組み合わせで形成されているクローン人間は存在しないが、精神的クローン人間の集団は存在しているように僕は感じている。
 高校留学を終え日本への帰国後直ぐに出会った女子高校生達の集団は、同じ髪型、同じ化粧法、同じ持ち物、同じ話し方という似非クローン人間状態だった。多様性に富んだ遺伝子の組み合わせで形成されている人は、成育環境や教育によって、より多様性に富んだ違い、個性を各々が自己の中に構築していける力を持っているのではないだろうか。しかし今の僕達特に若者は、流行という仕掛けの中で、メディアの流れの中で、教育という枠の中で、皆が平等であるという権利を持っているこの日本社会の中で、己と他者が対峙し合うことを放棄し、意識的に画一的な選択をする事に依って横並びという連帯感を享受し心の安定を得ようとしているのではないだろうか。自ら、他者と違う事を拒み、保護色のように皆が同じ色の中に自己を埋没させようとしているのではないだろうか。僕達若者の心が、精神的クローン化現象を起こしつつあると言っても過言ではないだろう。事実精神的クローン化現象は、現代における大事件の要因の一つとなっていると僕は考えている。第二次世界大戦参戦は、日本国民の「御国の為」という精神的クローン化が思考を麻痺させ、日本を暴走させた故の凄惨な歴史的出来事となった。又昨今のオウム真理教事件においては、宗教という名のもとに精神的クローン化が信者に施され、自己の判断能力を喪失した信者が狂気なる殺戮を実行に移した。精神的クローン化は、思考力を摘み取り、判断力を奪い取ってしまう。集団的に同一化された精神は、自らの暴走に歯止めをかける機能を不全な状態に陥れてしまうのである。
 又人は愚かである。人と人が違うことを意識化した事によって産み出してしまった悪魔的産物も人間世界には蔓延っている。「差別」「偏見」である。人と人が違う事をただ違うだけであると受容できず、優劣の観点から、正誤の視点から違いを捉える事によって、派閥、学閥等を自らの手で作り、自己を正当化し、異種なる者に対して排他的になり、自ら同一化、クローン化の枠組の中に入り込んでしまうのである。
 世界中がクローン人間で占められたならば戦争も衝突も差別も偏見もなく一見平和的生活かもしれない。が僕が幼い頃「あおくんときいろちゃん」から受けた感動も、異国の地で味わった異文化との格闘の末得た、互いを少しずつ理解し合えた喜びも、この世界にはしなくなるであろう。僕達はクローン羊クローン牛の誕生を契機として、生物学的、精神的クローン化、同一化の危険について深慮しなくてはいけない。クローン人間がもたらす人類の危機を回避しなくてはいけない。
 人は十人十色。しかしいろいろな人と、違いとの出会いの中で、両者の違いを共有し理解し合う努力をし、その努力の過程の中で自己をみつめ、そして知り、互いが成長し合うという高い能力を人は誰もが備えていると僕は信じている。僕達は自己と他者の違いを違いとして、理解と尊敬を持って受容し、その違いを人間世界の為にプラスに転換していく事を意識的に実践していかなければならない。その事を可能にする為に、高い知性と豊かな精神性を僕達若者は自己の中に培う努力を続けていかなければならない。
 僕はクローン人間の存在を許さず、認めず「あおくんときいろちゃん」から受けた感動を大切に守り、僕が出会った人や子孫に伝えていきたい。

 

●受賞の言葉
 思いがけない受賞の報を聞き、大変喜んでおります。
 現代社会における諸問題はグローバルである。故に法に拠っての絶対的拘束は難しく、人間の倫理感が重要視されます。我々人間一人ひとりが日々の生活において、生命の在り方についての意識を高めなければならないと、このエッセイを書いた事で、より痛切に感じています。これからも人間の在り方を己に問いかけて生きていきたいと思っています。

●筆者プロフィール
 1979年、名古屋生まれ
 1986年 名古屋市立榎小学校入学
 1989年 三重県桑名市立大山田東小学校転入
 1992年 三重県桑名市立陵成中学校入学
 1995年 三重県立四日市高等学校入学
 1996年 イギリス、Whickham Schoolへ留学
 1997年 三重県立四日市高等学校へ復学。現在、在学中


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